『1989年12月29日、日経平均3万8915円 元野村投信のファンドマネージャーが明かすバブル崩壊の真実』(近藤駿介著、河出書房新社、2018年5月20日発行)

1990年1月に株式バブルが崩壊したメカニズムを探求する書である。1980年後半のバブル経済をほとんど株式市場だけから見ているという制約があるので、日本経済のバブル崩壊の全体像との関係に説明不足感があるが、株式バブルについていえば、本書の分析はなかなか面白い点がある。

まず、株式バブルがなぜおきたか? これを理解するには、先物裁定取引の知識が必要である。

先物取引はヘッジをかけるのに使われる。値上がりしそうなとき買い建て(ロング)る。値下がりしそうなとき売り建て(ショート)る。決済期限に反対売買する。

先物には期限と理論価格がある。

先物理論価格=現物価格+借り入れコスト―満期までの受け取り配当

先物限月(取引最終日)が決まっているが、取引最終日までの期間がゼロになれば、

先物理論価格=先物価格=現物価格

になる。p.78

裁定取引は、先物の理論価格と現実価格の乖離を利用して利益を売る方法であり、金利取引である。投資家がヘッジ目的で先物を売ると、先物の現実価格が理論価格より安くなるので裁定取引業者は先物を買いに回る。このとき現物を売って利益を確定させる。

(疑問:裁定取引業者が現物を売り買いするというが、持っていなければ売れないだろうけど、持っていないときはどうするんだろう? また、売り買いは相手がいないとできないし、売り買いしようとしても意図した価格で買えるとは限らず、現物を買おうとすると値段も変わるので、そんなに簡単に一定の理論値がでるとは思えないが。)

80年代は日本で為替や金融の自由化が進められた。1980年12月外資法の廃止、改正外貨法と外国貿易管理法が施行された。また、同時に国税庁が特定金銭信託やファンドトラストの運用における簿価分離容認措置を通達した。特金・ファントラの残高は84年2.19兆円から89年42.66兆円に膨らんだ。資本取引の自由化で海外でのワラント債WB発行が増えた。WB残高は89年9.3兆円。pp.162-168

バブル崩壊前後で投資行動を変えたのは銀行と国内個人であるが、個人は売り越しから買い越しに転じたので犯人ではない。銀行は1986年から毎年4兆円を買い越してきたが、90年に突如、日本株を1兆2千億円も売り越した。銀行の行動が怪しい。p.177

銀行が株式を大量に買った理由 

銀行は89年後半に追加型インデックスファンドを大量に購入した。89年12月末で追加型投信残高は8.49兆円となった。p.188 

その原因は、90年3月期から業務純益を一般公開することになり、投資信託の利益は業務純益として扱うが、特金・ファントラは経常利益としてあつかうルール変更があったことだ。そこで、銀行はインデックス投信を大量に買った。この大量の購入があったとき株価指数先物が買いつけられた。そこで、株価指数先物が理論価格に比べて割高となり、裁定取引業者は株価指数先物を売り立てて、現物株を購入した。これにより裁定買い残が積み上がり、日経平均が上がった。p.193

銀行が株式を大量に売った理由

バブル崩壊第一幕は1990年1月~3月の銀行の動きにある。89年度都銀13行は経常収益が増収だったが、経常利益が大幅減。その原因は、中南米債務危機の解決策であるメキシコ債権交換損が6千億円弱であった。これを穴埋めするため、2兆円を越える株式等売却益を計上した。銀行は3月決算に向けて増えすぎた日本株を整理するため、特金・ファントラの評価益を実現しようとした。このとき保有株を売却しただろうが、値下げリスクを減らすために先物も売ってヘッジを掛けただろう。この動きのため先物の理論価格が安くなり、裁定取引業者によって先物が買われて、現物株が売られた。これは裁定解消売りとなった。pp.181-193 

大蔵省が1989年12月26日に出した営業特金禁止通達も後押しした。p.198

投資信託の行動

バブル崩壊第二幕は投資信託にある。クローズド期間を過ぎた単位型投資信託の解約が相次いだため、ファンドマネージャが解約に備えて現物を売り、先物指数を買い建てた。pp.204-205 

〇関連

『平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで』(西野智彦著、中公新書、2019年4月発行) - anone200909’s diary

『バブル 日本迷走の原点』(水野 健二著、新潮文庫、令和元年5月1日発行、原本は2016年11月刊) - anone200909’s diary

『「名経営者」はどこで間違ったのか ゴーンと日産、20年の光と影』(法木 英雄著、PHP研究所、2019年11月6日発行)

1970年代までは日産とトヨタはほぼ互角であった。80年代の海外展開で差が出た。1980年頃から差が開き、1990年には国内生産はトヨタが日産の倍になった。日産は1985年から2000年で国内生産が47%減少した。トヨタは、北米集中投資をしたのに、モデルも米国では量産モデルに集中。高級車は日本で生産。日産は全世界のプロジェクトを同時並行で行い戦力を分散化してしまった。身の丈に合わない海外の大プロジェクトが多く、トップの甘い経営判断に問題があった。901運動=1990年代までに技術世界一を目指す、というのは時代錯誤であった。

石原社長のグローバル10%構想による大プロジェクトを次々に立ち上げ。10年で6000億円。資金は借入。4つの海外大プロジェクト:メキシコ日産、豪州日産製造、スペイン進出、英国日産製造。メキシコ日産はメキシコ政府の政策のため膨大な損失。1990年代半ばのNAFTAでようやく正常化したが、他の日本メーカーも続々参入した。オーストラリアは60万台の市場規模に4社が競争しているところに5社目として参入した。撤退の判断が遅れて消耗戦を繰り返した。スペインの農機具メーカへの資本参加。EC未加盟のスペインを足掛かりにしようとしたが結果はその反対。1981年石原ーサッチャー会談でイギリスでの乗用車組み立て工場建設。しかし欧州の消費者は保守的で新しいブランドをなかなか買わない。スケールメリットがなく部品コストなどが割高になる。日系各社欧州の収益性が低い。日産は海外展開を全方位で進めようとして戦線を拡大しすぎた。米国以外ではことごとく失敗し、人材の疲弊、資金の流出を招いた。

1990年代末有利子負債2兆円。5000億円の借入金借り換えで窮地に陥った。しかし、日産は巨額の土地、有価証券などの含み益を持っていた。ルノーは1999年に第3者割当増資を5857億円で引き受けて日産の経営権を握る。ゴーンに全権を渡してV字回復を達成した。そのシナリオは、最初に超大赤字を出して危機感をあおり、資産の売却益を翌年に計上してV字回復を演出し、これにより求心力を確保する。この間、リバイバルプランを策定して実行するというもの。営業利益率は2%から10%へと8%増える。2005年にルノーのCEOになるまでの改革は見事な結果であった。成功の4要因:①自らシナリオを描く力、②クロスファンクショナルチーム(CFT)、③日産3-3-3プロジェクト、④トップダウンが機能する仕組み作り。

ゴーン改革がうまく行ったのはWHYから始めよの実例。WHAT:何をするか? ではなくて、WHY:なぜやるか。理念・大義からスタートする。

ゴーン改革の構造的欠点は、①ゴーンはルノー改革はできなかった。日本では効果を上げた方法もフランスではできなかった。フランスの国民性の問題。②人間軽視の経営、ルノーつけを日産が払った。③日産ならではの価値を生み出せない。DNAがない。

拙速かつ近視眼的経営:リーフへの膨大な投資は失敗。国内販売を軽視。マーチのタイへの移管で日本が空洞化。誰も口出しできない独裁者となる。合理性のみを重視・日本人社員を軽視した。倫理観の喪失。

ゴーン後の日産は、ルノーとの提携を解消して、アメリカとアジアに集中せよ。

この本を読むと、ゴーンが経営者として良かったのは最初の5年位のV字回復から利益率10%達成だけで、よかった理由の大部分は過去の資産をうまく活用したこととコストカットにあったことがわかる。しかし、新しい価値を創造するのには失敗したといえる。コストカットや短期的な刈り取りを重視するような経営では長期的な価値を創造できないような気がする。しかし、企業の存続には新しい価値の創造が必須である。このままでは日産の滅亡を避けることはできないだろう。

本書には会社経営における失敗と成功の事例が凝縮されている。いかにリーダーが大事かということもわかる。但し、著者のいう、国益のために日産を政府が守れという考えは間違っている。JAL再生に成功したのは政府の力によるものではなく、稲盛和夫というリーダーの力が大きかった。

自動車産業は日本で世界的に競争できる産業として残っているが、本書を読むと、自動車産業は、設計、材料~部品~完成品のサプライチェーンマーケティングまで非常に複雑なので簡単にまねできないことが分かる。特にエンジンとかトランスミッションなどは複雑なので、海外進出しようとすれば、サプライヤまで一緒に出ていって、ピラミッドを作る必要があった。

しかし、電気自動車になると様相はだいぶ変わるだろう。

『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(フレデリック・クレインス著、講談社現代新書、2019年12月20日発行)

江戸時代、オランダとの貿易の為、長崎の出島にオランダ人が駐在していた。そのオランダ商館長は毎年1回交代するとともに、江戸まで来て将軍に拝謁していた。本書は、その商館長の公務日記に記載された日本の災害に関する記録をピックアップして編集したもの。

やはり圧巻は、先頭のワーヘナール商館長の伝える明暦の大火の体験談である。一行は1657年1月18日長崎を出発、2月16日江戸に到着する。2月27日将軍に謁見した後、3月2日3時頃、大目付の井上邸(現:九段)にて大火に気が付く。定宿の長崎屋(日本橋室町)に急いで戻り、荷物を土蔵に入れ逃げる。外神田の長崎奉行・黒川邸、さらに平戸藩邸と非難するも邸に入れず、浅草まで逃げて小屋で夜を過ごす。この間の避難する人々の混乱ぶりの記述は、大火に逃げ惑う群衆の姿が目の前に見えるような臨場感がある。

3月3日朝、今度は南の方で火災が発生しているのを遠望する。これは小石川周辺で発生した火災である。さらに、その日の午後は麹町から火災が発生する。明暦の大火では、この3つの火災が起きて、江戸城の本丸・天守閣、二の丸を含め中心部はほとんど焼けてしまった。長崎屋も全焼・土蔵もなくなってしまう。3月4日には長崎屋の焼け跡に立つ。江戸の街中に横たわる死体、浅草門での大勢の死者など悲惨な現場を伝える。

3月9日に江戸を立つ。途中、江戸城の焼けた跡、橋が焼け落ちた姿を伝える。4月7日長崎に戻る。

その他、元禄地震(元禄16年11月23日、1703年12月31日未明)、肥前長崎地震(1725年10月から半年近く)、京都天明の大火(1788年3月7日)、長崎雲仙普賢岳の噴火による山体崩壊・津波の被害(1792年2月10日から7月まで)など多くの災害の報告は悲惨である。

本書を読むと、江戸時代には毎日火災・地震・噴火があったかのような印象を受けるが、冷静になって140年間の記録からのピックアップであることを考えると、少しばかり安心する。江戸の人々は、こうした天災の度に家屋を失ってしまう。本書の末尾にもある通り、それにめげずにたちまち町を復興するという姿に感動する。

『重力波で見える宇宙のはじまり』(ピエール・ビネトリュイ著、講談社ブルーバックス、2017年8月20日発行)

この本は恐ろしく難しくてほとんど理解できなかった。なぜ、難しいと思うか? 高度な話を比喩的な説明をしているからか? 説明が抽象的・飛躍し過ぎ?

本書はタイトルを見て、重力波の話がメイントピックになっているかと思ったが、実際に読んでみると、重力波の話はメインではなくて、最後の方の第8章、第9章になんとなく付け足しのように出てくるにすぎず、物足りない。

タイトルと内容がかなりずれている感もある。いづれにしても読後に消化不良感が残ったのは残念だ。

『アジア経済とは何か 躍進のダイナミズムと日本の活路』(後藤 健太著、中公新書、2019年12月25日発行)

21世紀のアジア経済はグローバル・バリューチェーンの時代(p.ii)。アジアの都市での生活パターンは先進国と類似する。都市部と農村部の格差が大きい(p.v)。

 戦前の日本にとってアジアとは中国であった。しかし、1949年に共産党支配の中国ができたことで中国と日本が切り離された。東南アジアへの傾斜が始まる。p.22 日本の戦後賠償=経済協力という図式であった。20世紀は雁行型の発展。

1985年プラザ合意による日本企業の海外展開。円高対策のため、日本企業のアジアへの直接投資で雁行形態がより深まる。pp.31-32 1980年代から20世紀のアジアの国間での産業構造の国際転換を説明する。直接投資FDIが大きな要因となった。

雁行形態は先進国と途上国の分担から見ているが、プロダクトライフサイクル論もある。ライフサイクルによって競争相手が増えることから競争力維持のために部分的に国外に移転するという論。

1978年の改革開放以前、中国はアジアでの存在感がなかった。改革は市場経済の導入、開放は経済特区の設置と対外開放。天安門事件を経て縮小、1992年南巡講話で再び。p.44-46

2017年世界の自動車販売台数は9680万台でうち40%がアジアで販売された。2912万台は中国で世界の30%。第2位は米国で1758万台、第3位は日本523万台。pp. 53-54

2017年世界のGDPに占めるアジアの割合は27%。p.56 一人当たり名目GDPは、マカオシンガポール⇒香港⇒日本(4位)⇒韓国⇒ブルネイ

1984年から1990年のアジアの実質経済成長率は5.74%。日本は4.97%。中国は8.84%。2011-2017年は同4.59%、1.31%、7.23%である。中国の成長率は常時高い。成長率と所得水準は逆相関がある。p.64

アジアの輸出構造:1990年アジアの輸出は世界の18%。日本はアジアの50%以上で、輸出は北米に向かっていた。2017年は同31%、アジアからアジアへの輸出が増えた。中国はアジアへの輸出が少ない。日本、ASEANから原料、資材・部品が中国に集まり、そこで製品化して世界に輸出される構造がある。

 FDIの第一の要因は、輸出入に関わる費用の削減・市場へのアクセス。第二の要因はコスト削減である。FDI受入国2018年1位は米国、2位中国、3位香港、日本は圏外。日本はアウトバウンドは大きいがインバウンドが極度に少ない。p.81

グローバルバリューチェーンの時代。昔のMade in Japanは垂直統合である。また自動車などのように擦り合わせが必要なものは統合化=フルセットで現地生産する。しかし、現在は、モジュール型が多くなっている。そして中身の部品はさまざまな国で作られる。ブランドは日本企業でも生産地はMade in China、Made in Thailandなど。Made in ** とは**で組み立てたということに過ぎない。p.98

フラグメンテーション=工程と機能の分断。統括主体が付加価値が高く、優位となる。バリューチェーンの時代には、コアコンピタンスの確立と、他の工程では企業間の関係構築力が重要。p.104 21世紀にグローバルバリューチェーンが成立したのは工程間リンクが簡単にできるようになった事情がある。自由貿易化、国際物流コスト、インターネットの進展がその要因である。

アグロメレーション=フラグメントされた工程を担う企業が集約する。p.110

貿易は異なる産業間の垂直貿易から同じ産業内の水平貿易に変わる。2017年アジアの域内貿易は部品と加工品の貿易比率が65%となる。p.112 消費財は13%(欧州は31%)。欧州では差別化された消費財の交換貿易なのである。

外部化の戦略軸はオフショアリングとアウトソーシングの組み合わせ。ガバナンスの方式は主導企業による組織化の程度と、サプライヤーの力の関係という二つの軸がある。

モジュラー化。深圳の華強北(ファーチャンペイ)、ホーチミン市のダイクァンミンに代替可能な汎用部品の集積を観る。p.134 擦り合わせ(インテグラル)から組み合わせ(モジュラー)へのアーキテクチャ転換で産業の再編が起きた。p.138 モジュラー化されると代替可能性が高まる。

スマホは2019年第一四半期:サムソン23%、ファーウェイ19%、アップル12%、シャオミ9%、ヴィボ7%、オッポ7%。アジア企業がスマホ市場を席捲。p.145

アジアにおける日本のプレゼンスは、1988年がピークで78%、2018年には21%に低下した。p.153

バリューチェーンでどういう地位を占めるか。現地にものを売る場合は、現地企業に強みがあることも考えるべき。p.156

インフォーマル経済は無視できない。インフォ―マル雇用比率、日本は16%、中国53%、インドネシア80%。

格差指数:タイル尺度(Theil Index)。アジアの格差は、国間よりも国内格差が広がっている。p.181

『揺れる大欧州』(アンソニー・ギデンス著、岩波書店、2015年10月6日発行)

親ヨーロッパ派、EUの永続を望む。EUの共同行動で世界に影響を及ぼせるという議論。

グローバル化の加速とインターネットの台頭によって、人類全体は、ごく近い過去の時代と社会的、技術的に異なるシステムの中で生きているのではないだろうか。p.15

ユーロ危機は、世界全体の経済的困難を反映し、EU2メルケル、オランド、欧州中央銀行IMF)に牛耳られることとなる。p.21

銀行と各国国債との悪循環を断ち切るには? 銀行同盟、その後の財政同盟が必要。p.26

欧州委員会は、政策を立案し、諮問文書の形で提案を示すので、目に見えやすいが政策を実行する力がないので、紙のヨーロッパができる原因となっている。p.34

贅肉の少ない連邦主義が良い。米国をモデルにするべきではない。p.36

2014年欧州議会選挙ではポピュリスト政党が躍進したが国毎に事情がことなる。p.43

EU支持は、2007年から2012年で減少したが、ギリシャ、スペイン、英国での減少幅が大きい。p.47

キャメロン首相の演説では、英国にとってのEUは経済的手段のようだ。つまり単一市場という。しかし経済は目的ではない。他のEU加盟国には共感されなかった。p.56

緊縮財政とその影響。ユーロ圏は決壊寸前の堤防のようだ。ギリシャは2008年以前は高成長社会であった。2009年新首相パパンドレウが公務員の数を尋ねたが誰も答えを知らなかった。統計を調べたら1200万の人口の中で100万人であった。公務員の首が切れなかったり、労働市場規制で若者の失業率が高かった。「緊縮財政ショック」。5年間で改善したが、税金逃れが多い。全経済活動の30%が地下経済である。ギリシャが繁栄の道に戻れるかが重要。p.74

リスボンアジェンダは2010年までの目標。その後、欧州委員会のヨーロッパ2020構想の5つの大目標:雇用、研究開発、気候変動・エネルギー、教育、貧困と社会的排除。しかし、リスボンアジェンダに似ており、プロセスが欠如している。リスボンアジェンダの目標はどれも達成できなかった。デジタル技術が重要である。デジタル技術で生産性を上げられる。モノづくりとサービスの新しい転換。

海外への生産移転と外部委託はいま流行らないビジネスモデル(p.86)。再工業化の動き(があるか?)p.88

お金を取り戻す。タックスヘイブンへの対応。タックスヘイブンを利用する国際企業は、規制が緩和された国際市場のうまみを引き出してオフショアに金をためている。これらの資金の大半は国家に帰属するべきだ。p.94

 欧州社会モデル(ESM)。北欧(ノルウェーフィンランドスウェーデンアイスランド)では、リスボン戦略の目標に近いところにあった。p.101

 国家という制度は巨大な官僚制になる傾向があり、官僚の関心や懸念は本来使えるべき市民から遠くかけ離れがちである。福祉の利用者の権限強化と、政策決定の分散化が論じられるべき。p.106

スペイン、アイルランドでは、2009年緊縮財政による福祉の削減が大きかった。失業率も急増した。p.110 2007年時点でスウェーデンデンマークノルウェーでは子供の貧困率は4%で低いが、ギリシャは20%、イタリアは18%であった。貧困の期間は1年以内が40%である。仕事の無いものは貧困の罠にはまりやすい。福祉や医療の改革には余地が大きい。p.118

北欧では高齢者の就業率も高い。奨励制度で効果を上げた。p.127

人口比失業率を使うべき。2012年のギリシャの若年失業率は55.3%だが人口比失業率は20.6%である。若年失業率を下げる政策が重要。p.130

 境界管理策。グローバル化した世界では、異なる信念や生活様式の交わりが日常のこととなる。p.132

ヨーロッパは過去2世紀移民送り出し国であった。1850-1930年までに約500万のドイツ人、1820-1930年までに約350万のイギリス人、450万のアイルランド人が米国に入国した。1960年~1970年代はヨーロッパが労働者不足。トルコからドイツに来た移民の結果、ドイツには300万のトルコ出身者がいる。pp.133-134

 2012年160万の移民がEUに入る。非合法移民は不明。シリア、イラクリビア、マリ、スーダンの紛争で何百万もの人が家を失う。p.135

 シェンゲン協定は域内移動のため。移民の多くは都市部に住む。ヨーロッパへの大量移民の衝撃派は本もの(ポール・シェファー)。p.139

 「多文化主義は失敗。ムスリム共同体はドイツに統合されない。ドイツは分断される。

」とティロ・ザラチンは言う。p.143「隣同士で幸せに取り組み、お互いに楽しむ。その取り組みに完全に失敗した。」とアンゲラ・メルケル首相。p.145

 多文化主義という言葉はあまりにも汚れてしまったので、使うのをやめて、文化間主義と言ったらどうか。p.152

ヨーロッパという考えはEU以前はあまりなかった。p.162

地域紛争の大部分の種はヨーロッパがまいたもの。p.164

2005年開始のヨーロッパ排出量取引制度(ETS)。仕組みが複雑になりすぎて機能不全になっている。p.170 国連での討議も失敗した。

消費ベースの排出量を公表すべきだ。中国の温室効果ガス排出量の1/3は輸出用である。イギリスのCO2排出量は1990年以来通常の計算では18%減少したが、純輸入と輸送を考慮すると同期間に20%以上増えたことになる。p.181

エネルギー政策。EUの電力の30%は原発。安全性、使用済み燃料処理の問題があるがCO2排出量削減の効果は大きい。トリウム発電なら問題ない。この研究は中国が熱心である。p.184

ドイツは2022年までにすべての原発を閉鎖する。風力と太陽エネルギーに傾斜する。pp.185-186 石炭は問題が大きい。シェールガスがより問題が小さい。二酸化炭素貯留(CCS)が対策になるか。

安全保障政策。米ソの敵対は半世紀続いたが、ソ連が一夜で消滅するとは誰も考えなかった。p.197

 NATOは米国に依存するEUの防衛力のモラルハザード。p.207

『AIには何ができないか データジャーナリストが現場で考える』(メレディス・ブルサード著、作品社、2019年8月10日発行)

著者はコンピュータ・テクノロジー文化に懐疑的である。明るいテクノロジーの未来がすぐそこまで来ている、というのは思い込みにすぎない。問題点は:

アイン・ランド能力主義

・男・白人が有利な社会であり、文化的に偏っている。

・テクノロジー至上主義、テクノロジーに対する手放しの楽観。使われ方に疑問をもたない。テクノロジーの創造者は市民の安全や公共の利益を軽視する傾向がある。

・コンピュータの決定は、人間の決定より優秀あるいは公平であると考えている。(そんなことはない)

・データだけで社会問題を解決できると信じている。(そんなことはない)。

本書ではテクノロジーにできることの限界をまとめている。

コンピュータサイエンティストの業界内では、汎用型AI(ハリウッド版AI)については、すでに1990年代に見切りが付けられている。機械学習は特化型AIである。

データは社会的に構築される。すべて人間が作る。p.37

Eliza, Siriは似ている。用意された応答はプログラマの想像力の範囲内。p.54

AlphaGoは知的ではない。過去のデータを使って勝てる確率を計算し、力任せにプロ棋士を打ち負かすのみであり、意識があるわけではない。p.71

アルゴリズムの説明責任報道:プロパブリカによる「機械のバイアス」。裁判所の量刑判断に用いられているアルゴリズムにはアフリカ系アメリカ人に不利になるバイアスがかかっていることを発見した。COMPASというアルゴリズムで、逮捕した人物が将来的に犯罪を犯す確率を予想しているだと。p.78

フィラデルフィア学区。生徒が州の標準試験(PSSA)を突破できない。教科書を買うお金がなく、教科書が揃わないのが原因。教科書があるかどうかのデータも正しくない。データベースには0冊のはずの教科書が段ボールに24冊もあった。p.100

子供にiPadを与えるとすぐになくす、壊す。教科書の寿命は5年は必要だが、デバイスの寿命は短い。管理も大変、値段も高い。紙の方がずっと効率的。p.110

デジタル技術の出どころはひとつのエリート集団。技術システムの設計は見直しが必要。例えば自分の庭の上に飛来したドローンを撃ち落としたトラブル話がある。裁判所は、所有地の上をホバリングするドローンを撃ち落とす権利はあるとした。pp.118-120

ミンスキー世代の創造性あふれる無秩序の遺伝子が現在のテック業界に伝わっている。p.129 コンピュータサイエンスには数学のコミュニティのバイアスが受け継がれている。p.138 

機械学習タイタニック号の生存者を予測する。DataCampのタイタニックチュートリアルのデータセットを使う。97%の精度で生存を予測できるが、しかし、生存を決定するのはできない。

自動運転車はコンピュータの本質的限界をめぐる。DARPA2007年グランドチャレンジに挑戦するベン・フランクリン・レーシングチームの自動運転車で死ぬ思い。しかし、エンジニアは命に無関心。知識ベースのアプローチ。優勝したのは知覚力を持たないアプローチの自動運転車。自動運転車にはさまざまな問題がある。整備の行き届いていない道、雪道、雨・雪・埃によるレーザー光線の乱れなど。p.242 テスラの自動運転は未完成。2016年5月テスラ自動運転の初の死者は交差点を曲がろうとした白いセミトレーラーを認識できずに、トラックの下に潜り込む。p.244

スタートアップバスでハッカソン体験。ハッカー達の共有する認識は、ハッカソンで有益なものが生み出されたことは一度もない、というものだ。ハッカソンはスポーツイベントである。P.291 とはいえ、参加体験は貴重だ。ソフトウェア開発は、本質的に工芸であり、ほかのさまざまな工芸―木工や吹きガラス―と同じように、熟達するには長い時間を要する。p.306

Story Discovery Engineの開発。Bailiwickプロジェクト。

本書の著者は自分でプログラムを書いて、実践しながらの話を読み物としても面白く書いている。なかなか貴重な人材である。