国策ということの怖さ

福島第一原発事故に関連して、原発推進派の反省文というものを読んだ。これまで、原子力は危険とは思うが、日本で電気を作るには一番適切だし、原発は国の施策の元に運転しているのだから、重大な事故は起きないだろうと思ってきたのだが、こういう文章を読むと、その期待は全く間違っていたということ、国の政策というものがいかに信頼できないものだったかということが良く分かる。

原子力推進派の自己批判②

ここに名前を並べている人達の役職は次の通りだ。
大学としては
・東大、京大、東工大

政府関係機関では
原子力安全委員会原子力委員会原子力安全基盤機構

学会では
原子力学会、物理学会

その他
放射線影響研究所

これらの機関には恐らく、国から多額の税金が流れて、ここに勤める専門家達はそこから禄を食んでいたということだろうが、一体いままで何をしてきたのだろうか?

例えば、原子力安全委員会とは次のような団体だ。

原子力安全委員会について

原子力安全委員会原子力安全行政における「かなめ」としての役割を果たしてきました。」

とある。しかし、福島原発の惨憺たる失敗をみれば、原子力安全委員会がまったくその役目を果たさなかったと言っても過言ではない。

反省の言葉を聴くだけではなく、それを確認してどこに間違いがあったのかを検証しなければならないだろう。