『日米開戦の正体』(孫崎 亮、祥伝社、2015年5月)

今年は終戦から70年。太平洋戦争を問う本が様々に出てくるだろう。第一次大戦から総力戦の時代になっており、戦争の勝ち負けは国家資源と生産力によって決まること、当時日米のGNPは10倍以上の差があり、しかも日本は石油や鉄鋼を米国から輸入していたので、米国と戦争したら勝てるはずがないのというのは専門家は分かっていたはずなのに、なぜ、戦争に至ったか? というのは誰でも疑問に思うところだろう。

本書は日本がなぜ真珠湾攻撃という愚挙に出たのかをキーとして歴史を振り返っている。

特に、目から鱗が落ちたのは、「真珠湾への道は日露戦争の勝利から・・・」という第三章。この章だけでも読む価値がある。

日露戦争ポーツマス条約によって終結した。この条約は米国のルーズベルト大統領に仲介してもらって得たものである。

同条約に基づいて日本が得るものは、戦争前にロシアの権益であった遼東半島と満鉄のみ。満州全域からは日露両軍が同時に撤退することを決めているそうだ。そして、満州は各国平等のアクセスできる地域とするということなのだった。

ここに米国が日露を仲介して条約を結ばせる国益があったわけだ。

しかし、結局、日本は条約の取決め通りに撤兵せず、満州に特殊権益を得たとして行動する。満州の特殊権益という言葉は、いろいろの本で読んでいたのだが、実は満州の特殊権益は限定されていたというのは知らなかった。

この満州権益をめぐって軍人を中心とする拡大派と、ポーツマス条約に則ろうという伊藤博文派の対立があったが、韓国における伊藤の暗殺により拡大派の意向に沿うものとなる。

日本が満州を我が物にしようとする行動が、ひいてはその後の日中戦争への、日米の対立と太平洋戦争へとつながったことになる、ということのようだ。

もし、満州を自由な国際競争地域としていれば、日本は平和裏に発展できたかもしれないのだ。