『ルワンダ中央銀行総裁日記』(服部 正也著、中公新書、1972年発行)

本書は、昨年(数ヶ月前)の神田古本祭りで、新古書として安く展示されていた中から面白そうなタイトルだな、という程度で買って積ん読していたもの。先週の週末、書店を回ってもあまり面白い新刊がないなあ、ということで読みはじめたところ、あまりの面白さに2日で読み終えた。

著者の服部正也さんは、日本銀行で20年働いた後、国際通貨基金の技術援助として、ルワンダ中央銀行の総裁を努めた。本書はその最初の頃の業務内容についての記録である。

1965年2月8日(月)着任。着任時はルワンダ中央銀行は総資産8億4100万フラン、うち外貨1億7700万フラン。年間の政府外貨による輸入が7億5000万フラン。手持外貨は輸入の4ヶ月分しかない。政府承認の取引は1ドル50ルワンダ・フラン、自由取引は同100ルワンダ・フランの二重相場制であった。

2月16日からIMFの平価切り下げ調査団先発隊。24日より本隊。ルワンダ政府関係は切り下げ反対なのにIMFの条件は現地情勢を無視して、切り下げ政府の収支バランスを求める。いろんな人の意見を聞いても自分を利することしか言わない。

3月23日大統領より呼ばれて5時間話し。経済再建計画の立案を依頼される。カイバンダ大統領は、ルワンダの発展は遅くても良いので、国民が今日よりはあす、自分よりはその子供が豊かになる経済対策を求める立派な人物であった。計画の立案期間は6ヶ月。

それから、服部氏はルワンダの現地を見て回り計画立案に注力する。9月23日朝に計画書ができあがる。

IMFの要求により政府収支の見直し修正後、実施準備に入る。実施準備にあたっては、ルワンダ人商人の密輸まで利用すること迄考えるほどの現実を調べ尽くした入念な準備を進める。

1966年4月より実施。しかし、外敵の侵入などの事態により、成果を生むまでに時間がかかる。それも1970年にはその成果が確実にでて、服部氏は1971年1月に帰国する。

カイバンダ大統領を始めとするルワンダ人による送別会の様子には感激である。

本書を読んで、服部氏のような人物が日本人であることを大変誇りに思った。人生の成功の鍵は考え方にある、ということは盛和塾において稲盛塾長より教えを受けているところであるが、この服部氏という人の成功も考え方によるところが大きいと思う。服部氏こそ、まさしくサムライと言える。

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