『IMF 世界最高司令部20ヶ月間の苦闘 下』(ポール・ブルースタイン著、楽工社、2013年12月2日)

1998年1月インドネシア

クリントン大統領、コール首相、橋本首相らがスハルトIMFの方針に従うよう説得。1月15日IMF強化プログラムに署名。KKN構造改革をさらに進める。スハルトは改革する気があるのか? 合理的なのか? 改革プログラム発表で市場は反応せず。ルピア崩壊。一ドル=15450ルピアに。国内物品価格急上昇、失業者増・生活苦。本来はKNNではなく、銀行システムと企業の対外債務が問題。外貨建て企業債務の急増。経営破綻の懸念高まる。

経済を救うには政治改革が必要という米、拒むスハルト反政府運動の激化。暴動。スハルト辞任となる。

1998年7月~8月ロシア

1990年代初期IMF世界銀行はロシアの自由化のために資金を供給した。1998年7月中旬IMF主導で225億ドル救済パッケージ。しかし、資本の流出を食い止められない。8月17日ルーブルの切り下げと国債(GKO:国家短期債務)の実質的なデフォルトをした。

ロシア1991~1998はIMFの支援を得てきた。ロシアは1992-1994年の間に15000程の工場や企業を売却、従業員の2/3を再雇用。民営化小切手方式。赤い取締役のままで構造改革は進まず。契約に係る法制度未発達。企業は政府融資、助成金で経営を続け、財政赤字の増大と通貨供給量の増大、ハイパーインフレが起こる。競争力のない企業が、物々交換で経営を続ける。「バーチャル経済」。現金価格の2倍以上の物々交換価格で取引する。財政赤字をカバーするため、ルーブルを刷らずにGKOの大量販売。1998年には海外投資家がGKOを買わなくなり、利率がアップ。IMFの支援した資金は投資家に流れるだけ=モラルハザード批判が強く、IMFは8月17日は支援を拒絶。デフォルトとルーブル切り下げとなる。

 1998年秋 アメリ

米国債券市場が動かなくなる。米では短期資金を債券で調達する企業が多い。債券は支払いへの不安はなく、価格が金利で動く。ロシアは重要な国ではないが、投資家が信じていたことを崩してしまった。1998年秋にはとびきり安全な債券しか投資家が買わなくなった。債券の発行停止、信用収縮。米国債しか売れない状態。1998年秋は米国債と各付けの低い企業の債券の金利差が1997年末の約2.5%から6%近くに広がる。新興諸国は17%となり、発行体にとって高価となった。また、保有への恐怖から流動性が落ちる。

1998年10月~11月 LTCM破綻の危機。11社の取引先が資金提供して即座のデフォルトを避ける。

1998年10月~1999年3月ブラジル

 政府は短期債券大量発行、クローリングペッグ制。1ドル=1.2レアル。1998年8月~9月にレアルとドルの交換を求められ国際通貨準備金は750億ドルから450億ドルに減少した。IMF・米財務省と欧州との意見の違い。

ブラジルはハイパーインフレが何度も起きる。1994年3月プラノ・レアルに置き換えでインフレを脱する。しかし、レアルが割り高になる。レアルを持ち続けてもらうため金利を40%にアップ。金利アップで利払いが増して財政赤字が増えた。欧州は反対するも、1998年11月13日IMFと主要先進工業国は415億ドルの融資パッケージを提供。しばらくは持ちこたえる。

1999年1月6日、ブラジルのジェライス州で政府への負債支払い停止。これをきっかけに投資家が逃げはじめ、ブラジルの準備金が減る。ブラジルは通貨変動幅を広げ、レアルの8%切り下げ。準備金減少。1月18日変動性に移行、直ぐ、1ドル=1.59レアルに31%下落。インドネシアと同じになる。中央銀行総裁を交代。3月4日新総裁就任短期金利の大幅アップ。3月2日1ドル=2.22レアルから4月13日には1ドル=1.66レアルとなる。金利も下げる。

まとめ

IMFは全ての国で信頼を失う。韓国とブラジルの2度目では民間の債権者を巻き込んで成功した。モラルハザードと失敗の確率を覚悟して大型IMF救済か、デフォルトが起こるままにするか。トルコ、ブラジルなどに大口融資。後者はアルゼンチンで死者を出すような暴動、経済の落ち込み、餓死者もでた。

電脳投資家の短期融資対策は?IMF廃止、縮小、ブレトンウッズ体制? SDRM案(棚上げ)。