『マルヌの会戦 第一次世界大戦の序曲■1914年秋』(アンリ・イスラン著、中央公論新社、2014年1月10日発行)

1914年夏の第一次大戦の冒頭、ドイツ軍の大軍団は、シェフェーリン計画に従ってフランス国内に殺到する。8月2日ドイツ軍はリュクセンベルグ大公国に侵入、ベルギー政府に通過の自由を要求する。4日にベルギーに戦線布告。8月24日までの時点でフランス軍の北部国境防衛線は壊滅的となる。

その後、9月3日までにフランス軍はパリの近くまで後退する。総司令官ジョッフルは、フォッシュを選抜して第20軍団長とする。首都防衛のためのモーリーヌ第6軍を作る。

9月4日歴史上マルヌの会戦と名付けられた会戦の命令書が作られる。9月5日フランスは第6軍から反撃にでる。9月5日~9日の5日間の戦闘の後、ドイツ軍が後退する。その後は、塹壕による防衛線を敷き、膠着状態となる。

フランスの総司令官ジョッフルと、ドイツの参謀総長モルトケの人物像と行動様式の違いについての詳細な説明がある。つまるところ、どうやらこの二人の指揮によってマルヌの会戦の勝敗が決まったかに見える。

近代的な兵器に対して、体を隠すことなく、無防備に戦うフランスの将官達や兵士の戦死は、精神力の誇示、近代兵器に対する無知か、それとも無謀な勇敢さの現れか。