『機密費外交−なぜ日中戦争は避けられなかったのか』(井上 寿一著、講談社現代新書、2018年11月発行)

大凡、満州事変(1931年9月)から西安事件(1936年12月)頃までの日中関係と外務省の機密費の用途の関係を分析した本である。機密費の領収書が残っていたのは珍しいが、それと日中関係で本を書くのはちょっと無理があるような気もする。

しかし、外務省の現地と本局の若干の意見の相違も見られるが、やはり、現地の軍部のしかも、現場が先に走って、それを事後追認的に上層部、あるいは日本国内が追認するという、なし崩しパターンで日中戦争不可避の状態に進んで行っていることが良く理解できる。

それに、満州国承認とリットン調査団報告書提出の日の関係の項を見ると、満州国を日本の議会や政府が認めたのタイミングが日本という国が唯我独存で諸外国の気持ちなどは全く考えていないという、大局判断のできない人が多いことに驚く。

また、上海事変なども新聞が号外合戦であおっている様子も理解できる。

本書で、いままでとは違った理解になったのは、第六章の頭あたりの、松岡全権による国連脱退の経緯である。国連の決議がなされたあとで、その決議に反することを日本が行った場合、経済制裁になるということ。具体的には、決議後に軍部が熱河攻略をすれば、それは決議に反する行為として考えられ、経済制裁に帰結するのだという。そのため、決議の前に脱退しないとマズかったということは知らなかった。この辺は、真偽の程は分からないが、いままで松岡のスタンドプレイとみていたのは理解が浅かったかもしれない。

当時の日本は今とは比べものにならないほど輸出依存の経済であって、経済制裁が行われれば、たちまち日本の経済が値没してしまうという状況だったようだ。