『「名経営者」はどこで間違ったのか ゴーンと日産、20年の光と影』(法木 英雄著、PHP研究所、2019年11月6日発行)

1970年代までは日産とトヨタはほぼ互角であった。80年代の海外展開で差が出た。1980年頃から差が開き、1990年には国内生産はトヨタが日産の倍になった。日産は1985年から2000年で国内生産が47%減少した。トヨタは、北米集中投資をしたのに、モデルも米国では量産モデルに集中。高級車は日本で生産。日産は全世界のプロジェクトを同時並行で行い戦力を分散化してしまった。身の丈に合わない海外の大プロジェクトが多く、トップの甘い経営判断に問題があった。901運動=1990年代までに技術世界一を目指す、というのは時代錯誤であった。

石原社長のグローバル10%構想による大プロジェクトを次々に立ち上げ。10年で6000億円。資金は借入。4つの海外大プロジェクト:メキシコ日産、豪州日産製造、スペイン進出、英国日産製造。メキシコ日産はメキシコ政府の政策のため膨大な損失。1990年代半ばのNAFTAでようやく正常化したが、他の日本メーカーも続々参入した。オーストラリアは60万台の市場規模に4社が競争しているところに5社目として参入した。撤退の判断が遅れて消耗戦を繰り返した。スペインの農機具メーカへの資本参加。EC未加盟のスペインを足掛かりにしようとしたが結果はその反対。1981年石原ーサッチャー会談でイギリスでの乗用車組み立て工場建設。しかし欧州の消費者は保守的で新しいブランドをなかなか買わない。スケールメリットがなく部品コストなどが割高になる。日系各社欧州の収益性が低い。日産は海外展開を全方位で進めようとして戦線を拡大しすぎた。米国以外ではことごとく失敗し、人材の疲弊、資金の流出を招いた。

1990年代末有利子負債2兆円。5000億円の借入金借り換えで窮地に陥った。しかし、日産は巨額の土地、有価証券などの含み益を持っていた。ルノーは1999年に第3者割当増資を5857億円で引き受けて日産の経営権を握る。ゴーンに全権を渡してV字回復を達成した。そのシナリオは、最初に超大赤字を出して危機感をあおり、資産の売却益を翌年に計上してV字回復を演出し、これにより求心力を確保する。この間、リバイバルプランを策定して実行するというもの。営業利益率は2%から10%へと8%増える。2005年にルノーのCEOになるまでの改革は見事な結果であった。成功の4要因:①自らシナリオを描く力、②クロスファンクショナルチーム(CFT)、③日産3-3-3プロジェクト、④トップダウンが機能する仕組み作り。

ゴーン改革がうまく行ったのはWHYから始めよの実例。WHAT:何をするか? ではなくて、WHY:なぜやるか。理念・大義からスタートする。

ゴーン改革の構造的欠点は、①ゴーンはルノー改革はできなかった。日本では効果を上げた方法もフランスではできなかった。フランスの国民性の問題。②人間軽視の経営、ルノーつけを日産が払った。③日産ならではの価値を生み出せない。DNAがない。

拙速かつ近視眼的経営:リーフへの膨大な投資は失敗。国内販売を軽視。マーチのタイへの移管で日本が空洞化。誰も口出しできない独裁者となる。合理性のみを重視・日本人社員を軽視した。倫理観の喪失。

ゴーン後の日産は、ルノーとの提携を解消して、アメリカとアジアに集中せよ。

この本を読むと、ゴーンが経営者として良かったのは最初の5年位のV字回復から利益率10%達成だけで、よかった理由の大部分は過去の資産をうまく活用したこととコストカットにあったことがわかる。しかし、新しい価値を創造するのには失敗したといえる。コストカットや短期的な刈り取りを重視するような経営では長期的な価値を創造できないような気がする。しかし、企業の存続には新しい価値の創造が必須である。このままでは日産の滅亡を避けることはできないだろう。

本書には会社経営における失敗と成功の事例が凝縮されている。いかにリーダーが大事かということもわかる。但し、著者のいう、国益のために日産を政府が守れという考えは間違っている。JAL再生に成功したのは政府の力によるものではなく、稲盛和夫というリーダーの力が大きかった。

自動車産業は日本で世界的に競争できる産業として残っているが、本書を読むと、自動車産業は、設計、材料~部品~完成品のサプライチェーンマーケティングまで非常に複雑なので簡単にまねできないことが分かる。特にエンジンとかトランスミッションなどは複雑なので、海外進出しようとすれば、サプライヤまで一緒に出ていって、ピラミッドを作る必要があった。

しかし、電気自動車になると様相はだいぶ変わるだろう。