『1989年12月29日、日経平均3万8915円 元野村投信のファンドマネージャーが明かすバブル崩壊の真実』(近藤駿介著、河出書房新社、2018年5月20日発行)

1990年1月に株式バブルが崩壊したメカニズムを探求する書である。1980年後半のバブル経済をほとんど株式市場だけから見ているという制約があるので、日本経済のバブル崩壊の全体像との関係に説明不足感があるが、株式バブルについていえば、本書の分析はなかなか面白い点がある。

まず、株式バブルがなぜおきたか? これを理解するには、先物裁定取引の知識が必要である。

先物取引はヘッジをかけるのに使われる。値上がりしそうなとき買い建て(ロング)る。値下がりしそうなとき売り建て(ショート)る。決済期限に反対売買する。

先物には期限と理論価格がある。

先物理論価格=現物価格+借り入れコスト―満期までの受け取り配当

先物限月(取引最終日)が決まっているが、取引最終日までの期間がゼロになれば、

先物理論価格=先物価格=現物価格

になる。p.78

裁定取引は、先物の理論価格と現実価格の乖離を利用して利益を売る方法であり、金利取引である。投資家がヘッジ目的で先物を売ると、先物の現実価格が理論価格より安くなるので裁定取引業者は先物を買いに回る。このとき現物を売って利益を確定させる。

(疑問:裁定取引業者が現物を売り買いするというが、持っていなければ売れないだろうけど、持っていないときはどうするんだろう? また、売り買いは相手がいないとできないし、売り買いしようとしても意図した価格で買えるとは限らず、現物を買おうとすると値段も変わるので、そんなに簡単に一定の理論値がでるとは思えないが。)

80年代は日本で為替や金融の自由化が進められた。1980年12月外資法の廃止、改正外貨法と外国貿易管理法が施行された。また、同時に国税庁が特定金銭信託やファンドトラストの運用における簿価分離容認措置を通達した。特金・ファントラの残高は84年2.19兆円から89年42.66兆円に膨らんだ。資本取引の自由化で海外でのワラント債WB発行が増えた。WB残高は89年9.3兆円。pp.162-168

バブル崩壊前後で投資行動を変えたのは銀行と国内個人であるが、個人は売り越しから買い越しに転じたので犯人ではない。銀行は1986年から毎年4兆円を買い越してきたが、90年に突如、日本株を1兆2千億円も売り越した。銀行の行動が怪しい。p.177

銀行が株式を大量に買った理由 

銀行は89年後半に追加型インデックスファンドを大量に購入した。89年12月末で追加型投信残高は8.49兆円となった。p.188 

その原因は、90年3月期から業務純益を一般公開することになり、投資信託の利益は業務純益として扱うが、特金・ファントラは経常利益としてあつかうルール変更があったことだ。そこで、銀行はインデックス投信を大量に買った。この大量の購入があったとき株価指数先物が買いつけられた。そこで、株価指数先物が理論価格に比べて割高となり、裁定取引業者は株価指数先物を売り立てて、現物株を購入した。これにより裁定買い残が積み上がり、日経平均が上がった。p.193

銀行が株式を大量に売った理由

バブル崩壊第一幕は1990年1月~3月の銀行の動きにある。89年度都銀13行は経常収益が増収だったが、経常利益が大幅減。その原因は、中南米債務危機の解決策であるメキシコ債権交換損が6千億円弱であった。これを穴埋めするため、2兆円を越える株式等売却益を計上した。銀行は3月決算に向けて増えすぎた日本株を整理するため、特金・ファントラの評価益を実現しようとした。このとき保有株を売却しただろうが、値下げリスクを減らすために先物も売ってヘッジを掛けただろう。この動きのため先物の理論価格が安くなり、裁定取引業者によって先物が買われて、現物株が売られた。これは裁定解消売りとなった。pp.181-193 

大蔵省が1989年12月26日に出した営業特金禁止通達も後押しした。p.198

投資信託の行動

バブル崩壊第二幕は投資信託にある。クローズド期間を過ぎた単位型投資信託の解約が相次いだため、ファンドマネージャが解約に備えて現物を売り、先物指数を買い建てた。pp.204-205 

〇関連

『平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで』(西野智彦著、中公新書、2019年4月発行) - anone200909’s diary

『バブル 日本迷走の原点』(水野 健二著、新潮文庫、令和元年5月1日発行、原本は2016年11月刊) - anone200909’s diary