『誤解 ヨーロッパVS日本』(エンディミオン・ウィルキンソン著、中央公論社、1980年6月20日発行)

著者は日本における最初のEC代表部員として1974年から1979年まで日本に滞在した。ECに帰任するにあたり、滞在中に学んだことをまとめた本である。主に貿易面での摩擦を文化的な関係でとらえようとしている。

著者はヨーロッパと日本のお互いの誤解について過去の歴史から調査した。その結果気が付いたこととして、日欧の双方が相手に対して抱いているイメージやそれに基づく「対話」の仕方が昔から少しも変わっておらず、壊れたレコードのように同じことを繰り返しているという(p.8)。

20世紀の初めはヨーロッパの列強は植民地主義の有力な勢力であった。その版図は日本のすぐそばの地域まで伸びていた。しかし、20世紀の後半から終わりの時期はヨーロッパがアジアから撤退した。一方、日本は二つの大戦の期間にわたりヨーロッパ勢力をアジアから駆逐する力であり、戦後はヨーロッパよりもアメリカを範としながら国際的な役割を増やしてきた。戦後の日本製品のアジアへの進出はアジアでのヨーロッパの影を薄くした。

100年前はヨーロッパがアジアに砲艦外交をしていたのにもはや日欧でその立場が逆になった。ヨーロッパ人は自己の役割が減退したが相変わらず誇大な自己イメージをもっている。一方、日本人は自己に求められる役割が大きくなっているのに相変わらず遠慮がちである。お互いに自己のもつイメージが実態とずれており、両者とも昔のままの視点で相手を見ている。

ヨーロッパ人の日本観は、16世紀のイエズス会宣教師が書いたことと同じことがオウム返しに繰り返されている。日本人は強大な中心勢力の周辺部で他者から学んできた。そして他者への姿勢には拒否、吸収・同化、反動としての嫌悪というパターンが繰り替えされるようだ。吸収・同化の期間は、和魂漢才、和魂洋才といった合言葉に表されるが、外の文化に模範を求める姿勢がある。

ECと日本との貿易摩擦が繰り替えされたが、この原因にはお互いの理解不足がある。しかし、1976年10月26日土光ミッションがヨーロッパを訪問し、土光ミッションがヨーロッパで批判の嵐に行き当たったことで変化が現れた。この1976年の日欧貿易摩擦の経験は過去に繰り返されたパターンと同じだった。

こうした失敗を繰り返さないためには、ヨーロッパはもっと新しい日本を学ぶ必要がある。日本も工業製品の輸入を増やし、輸出品目の多様化、直接投資を増やすなど経済行動を変える必要がある。

本書が書かれたのは1980年で、日本が経済的な頂点に達する前の時期である。いまから見ると部分的には、少し古く感じる箇所もある。しかし、日欧の相互認識には、類型パターンが数百年前から繰り返されていることがある、という著者の指摘は恐らくいまだに変わっていないだろう。ここに注意すべき意味がある。