『暴落 金融危機は世界をどう変えたのか 上』(アダム・トゥ―ス著、みずず書房、2020年3月16日発行)

米国の大統領が変わるごとに財政赤字に関する方針が変わる。クリントン時代にルービンが財政黒字にした後、ブッシュ時代に財政が大赤字に転ずる。中国はドル固定相場で元を安めに固定して競争力を保っていた。中国の巨額の貿易黒字の大部分は財務省中期証券として保有される。

1990年代から2007年の危機勃発までの間にアメリカの住宅金融は不安定化した。原因は、①住宅ローンの証券化、②それが銀行の成長戦略に組み込まれた、③新しい資金源、④国際化の四つである。

1980年にはアメリカの住宅ローンの67%が預貯金取扱銀行のバランスシート上にあったが、1990年代終わりには証券化され政府支援機関(GSE)、銀行、年金、保険基金に広がった。裏付けとなるローンを注意深く監視することがなくなり、原債権者、卸売り業者、などを経由して売られるようになった。

プレトンウッズ体制の崩壊と通貨・資本移動の規制緩和投資銀行が躍進した。投資銀行は取引量とレバレッジを通して利益を得る。1980年代初期の米国投資銀行株主資本利益率は50%以上。MMFや専門家が運用する機関キャッシュプールにお金が集まったが、その金が現代投資銀行誕生の燃料。商業銀行は貯蓄を失い、住宅金融を失って混迷し統合、1999年の銀行規制緩和によりユニバーサル・バンキングが登場した。

カントリーワイドのような住宅ローン金融会社は組成から証券化に事業拡張した。1990年代はGSE中心だったが、2003年従来型住宅ローンの借り換えブーム終了で民間主体となりサブプライムローンへの注力が始まった。2000年代にはサブプライムローンの拡大で証券化が変質した。民間不動産担保証券(民間MBS)の増加。

1990年代から2000年代初期にドル建て安全資産の需要が急増した。中国などは財務省証券を買う。民間MBSは金融システムと証券化業者のバランスシートに蓄積された。この資金はキャッシュプールから調達された。仕組みは資産担保CP(ABCP、3ヵ月満期の証券)とそれを媒介するSIV(ストラクチャード・インべストメント・ビークル)、レポ取引(買戻し契約)。2007年度末リーマンは50%の資産をレポ取引で調達していた。2000年代初め、アメリカ経済が生み出す利益の35%は金融セクターが稼いだものだった。民間ABS(非従来型住宅ローン、クレジットカードローンから作られるMBS,、学生ローン、自動車ローン)の残高は2007年夏で5兆2130億ドル。うち、サブプライムローンMBSは1兆3000億ドル。うち1兆1730億ドルは、ABCP市場(短期)で調達された。

アメリカの典型的な金利変動ローンは2,3年後に利率が急上昇する。2007年に年率7-8%から10-10.5%にリセットされた。住宅ローンのペイメントショックとデフォルト率の上昇。

証券化住宅ローンでは欧州の銀行が大きな役割。非適格型でリスクの大きいMBSの29%は欧州の銀行が保有。2007年夏ABCPの2/3を欧州の金融機関が保有していた。ドイツ銀行が特に多い。アジアとアメリカ間の金の流れは主に貿易によるが、欧州とアメリカ間は金融循環による。

2007年国際金融は欧州を中心としていた。ロンドンが金融取引の中心。英国では担保の再担保化の倍率規制が緩く、欧州と米国間で担保価値の400%に達した。英国の自由化が世界中の規制を撤廃する先導となり、1999年クリントン大統領の「金融サービス近代化法案」による金融規制緩和ニューディール時代の規制が消えた。この法案は世界の中心を維持するためのもの。BIS規制(バーセルⅠ)1988年7月。8%の自己資本比率。2004年バーゼルⅡとなる。自己規制・開示・透明性に重点を置く。規制は競争と資本移動により骨抜きにされる。

欧州通貨統合2001年欧州中央銀行(ECB)誕生。ECBの目標は物価の安定だったが、それに加えて政府債権の流動化に取り組んだ。ECBは債券のレポ取引で運用。ただし、ECBはヘアカット率を国毎に差別しなかった。域内貿易不均衡の不安、福祉・税制・歳出制度の共通化が必要。ユーロ導入のとき、ドイツは交換レートで輸出に打撃を受け、欧州の病人となるが、2003年までには回復した。ユーロ危機の背景である債務の拡大は民間部門で起きた。欧州では貿易の流れと関係なく、金融による資金の流れが起きた。2001-2006年にはギリシャフィンランドスウェーデン、ベルギー、デンマーク、英国、フランス、アイルランド、スペインでアメリカ以上の不動産ブームが起きた。

欧州の銀行の債務は巨大になった。2007年世界の3大銀行はロイヤルバンク・オブ・スコットランドRBS)、ドイツ銀行BNPパリバ。バランスシートの合計は全世界GDPの17%。2005年欧州憲法の制定は失敗し、2007年12月メルケル主体のリスボン条約が制定された。EC理事会を欧州の中央政府とする政府間主義である。

ドイツの壁の崩壊と1991年12月のソ連解体。ロシアの実質GDPは1989年から1995年の間に40%下がった。1998年8月17日ロシアは90日間の対外債務モラトリアム。8月19日国内債務デフォルト。東欧とロシアは1990年代は厳しい状況だった。1999年にはポーランドハンガリーチェコNATOに加盟、2004年4月ブルガリアエストニアラトビアスロバキアルーマニアNATOに加盟。同年5月ブルガリアルーマニア以外はEUに加盟、2007年にはこの2国もEUに加盟した。その後資本と金融の統合が進む。通貨問題。2000年5月プーチンが大統領となる。1999年頃からロシア経済が復活する。2000年後半には原油価格急上昇で貿易黒字と外貨準備が増える。ロシアはアメリカに対する債権国となる。2007年2月プーチンミュンヘン安全保障会議に参加し、多極化を指摘する。2008年2月ジョージアウクライナNATO加盟を申請。2008年8月NATOサミット。プーチンの抗議で行き詰る。ジョージア政府のロシアとの戦闘。欧州の東方問題。

危機の到来。2006年夏にアメリカの不動産価格がゆっくり下がり始める。2007年1月メリルリンチ傘下の不動産担保ローン発行者が最初の破産。2月HSBCが不動産担保ローンの損失引当金を積むと発表。2007年8月9日BNPパリバが三つのファンドを凍結した。「アメリカ証券市場の一部で流動性が完全に消滅した」と発表。2007年9月14日英国の住宅ローン融資会社ノーザン・ロックは破産。破綻の引き金は資金調達のメカニズムにあった。オンラインでの取り付けに対して、資金の流動性がなくなった。ABCP市場の崩壊、レポ取引の取り付け。2008年ベアー・スターンズは資金調達ができなくなる。2008年9月15日リーマン・ブラザーズ流動性プールが枯渇して破産申し立て。AIGの危機。MMFの額面割れ。

住宅市場の落ち込みで個人の富が縮小した。米欧で家計資産の損失。米国では900万世帯が家を失う。マイノリティの住宅資産の破綻。ヒスパニック系中間層は2007年から2010年に資産が86%減少。アフリカ系中央値の家庭は住宅資産をすべて失う。消費の減少。自動車産業の崩壊。2008年12月までにクライスラーGMの倒産が明らかになる。2009年トヨタは70年で初めての損失。トヨタショックIMF統計60か国中52か国が2009年第2四半期のGDP減少。若年ブルーカラーの失業率が高くなり2700万人から4000万人が職を失う。1930年代の大恐慌では大銀行が揃って倒産する恐怖はなかった。しかし、2008年は金融システムが崩壊する危機だった。(そういう考えは正しいか?)

2008年9月20日財務省提出の法案。市場安定化のために7000億ドルを白紙委任せよ。TARP案となるが、初回は否決され、ダウ平均は778ポイントの過去最大の下落となる。10月3日修正後成立。資産買取を目指したTARPは資本注入へ傾く。

欧州銀行のドル需要をFRBが支えた。欧州の銀行が真に必要としていたのはドルである。欧州の銀行は米国のMMFから1兆ドル、銀行間取引市場で4320億ドル、外貨スワップ市場で3150億ドル、ドルの現金プールを管理する通貨当局から3860億ドル、総計2兆ドル以上の短期資金を借りていた。これらが流動性の危機となり、FRBが支えた。FRBのバランスシートの拡大。さらに欧州各国の中央銀行とのスワップ協定でドルを提供した。これらは秘密裏に行われたが、2010年12月のドット₌フランク法、11年3月の情報公開訴訟の結果として明らかになった。ドルは相対的な存在になると言われていたが、2008年秋FRBの行動でその逆にさらに重要となった。

G20 1999年12月開催。人口の60%、貿易の80%、GDPの85%を占める。G20で中国がプレトンウッズ2計画をぶち上げる。2009年4月の第2回目G20首脳会議では2008年秋以降の出来事を話し合っていない。IMFの資金を大幅に増やす取り決め。タックスヘイブンに留意する。G20の2009,2010の経済刺激策はロシアとドイツはほぼ同じレベルで、欧州は少なかった。

2009年アメリカ復興・再投資法案(オバマ刺激策)は金融危機後の西側財政出動で最大、アメリカの歴史でも最大。反対にあって縮小されたが、計量経済の研究では効果が大きかったとされている。しかし、不十分であった。銀行や貸し手の救済に偏っており自宅を失った人を救済しなかった。アメリカの財政主出のうち裁量の余地があるのは1/3であり残りは義務的な給付金であり、自動安定化装置として働く。メルケルのドイツは債務ブレーキを掛けた。

オバマは甘い。巨額のボーナスを払おうとする銀行家をホワイトハウスに呼んで頼むだけ。2009年2月財務省FRBがストレステストを開始、大銀行に信認を与えるための追加資本を策定する。資本を増強するコストが下がり、銀行は資本増強してTARPによる管理を抜け出す。2010年7月ドット₌フランク法(ウオールストリート改革・消費者保護法)の成立。

2007年から2009年に250万戸の住宅差し押さえ、その後12ヵ月で117万8千戸の差し押さえ。2010年市民の怒り。銀行ロビイストとの闘い。2013年12月ボルカールールの最終版。金融監視安定評議会。2008年G20バーゼルⅢ開始。2011年11月バーゼルⅢの29のシステム上重要な金融機関発表。

欧州は遅れた。アメリカの銀行は欧州の銀行に比べて大規模に資本増強した。しかし、欧州の銀行はECBから低金利の融資を受けて高利回りの国債を買って利益をだすというその場しのぎの対応した。これは2010年以降のユーロ危機につながる。