『破壊の経済 上』(アダム・トゥーズ著、みずず書房、2019年8月8日発行)

ナチスドイツを経済運営面から検討したナチの経済史である。ヒトラー政権を経済面から検討した研究は少ないとのこと。上巻はナチスが政権をとってから第2次大戦(西部フランス)開始直前までについて。

1945年までのイギリスは世界帝国であった。1939年のイギリスとフランスのGDP合計は、ドイツとイタリアの合計の1.6倍だったという。本書を読むと、ドイツには重化学工業分野での大企業も多かったが、ドイツの国民一人当たりのGDPはあまり豊かな国ではなく、国民を大多数は農民で、資源も外国からの輸入に依存するものが多いのは意外だった。

1928年2月のヴァイマル共和国の選挙では、ヒトラーの党は2.5%の得票と12議席の獲得。シュトレーゼマンの経済修正主義が優勢だったが、これはアメリカへの期待に基づく。次のブリューイング政権は1930年4月米国からの債務支払いなどに対応するため人頭税、歳出削減、増税というデフレパッケージで経済暴落失業者倍増。1930年9月総選挙でナチ党得票率18.3%、107議席を獲得。1931~1932年冬までにドイツ経済はますます悪化。ナショナリズム政策へ転換する勢力が力を持つ。ブリューイング首相更迭後の1932年7月選挙でナチ党得票率32.7%。1933年1月ヒトラー政権樹立。

ヒトラー政権成立から定まっていた最も重要な方向は、生存圏の確保であり、そのための再軍備である。

第一次大戦の賠償を多く抱える状態から、戦争に備えて軍備を整える過程では、国際金融面で非常な無理があった。当初は賠償の問題が主であり、後半では輸入のため使える外貨が少ないため、軍備に投入できる資源が限られてしまうという問題があった。軍備を整えるためには、民需を抑えて、鋼鉄などの資源を軍に傾斜配分する必要がある。本書の主な分析はこれをどのように実現したかということである。

ヒトラーは次のことを認識していたようだ。英仏にアメリカを加えれば、ドイツの国力は圧倒的に不利な状態である。ドイツは非常な速度で軍備の拡大を行ったが、国の生産力を考えると、1939年の冬あたりがドイツが相対的に有利であり、それから時間が経って連合国が戦力を整えるにつれて不利になる。そこで一か八かの開戦に踏み切らざるをえないという判断だったらしい。

このあたり、日本が太平洋戦争に踏み切ったときと似ていると感じる。資源のない物の考えることは同じということか。