『政治の起源 人類以前からフランス革命まで 上』(フランシス・フクヤマ著、講談社、2013年11月5日発行)

国家がどのようにして生まれたかを探求する。ヒトとチンパンジーのゲノムは99%重なっている。自然状態ではチンパンジーの凶暴性は、ニューギニア高地の人間の男による襲撃行為と似ている。人間の方がチンパンジーより残虐である。人間は言葉をもつことで社会組織を作った。

人間の社会組織の原始形態は部族型。狩猟採集民は群れの段階、農耕社会で部族性が始まった。宗教と血縁が大きな影響力をもつ。部族社会は群れよりも軍事面では強い。戦争を通じて国家が成立する。

国家以前の部族社会と比較して、国家社会の違いは:

第一に、王、大統領、首相といった中央集権的権威の源をもち、この源は階層構造の従属者に権限を委譲する。

第二に、権威の源は合法的な強制の手段を持ち、部族や地方が国家から分離するのを防ぐ。

第三に、国家の権威は領土内にだけ通用する。

第四に、国家は部族社会と比べて階層的である。

第五に、国家は宗教信仰によって正当化される。

ホッブスは、人間の自然状態は万人に対する万人の戦争であるとする。国民は自然な自由を放棄し、国家(リヴァイアサン)は生存権を保証するという基本的な合意があるという。部族社会から、社会契約に自然に移行して初期の国家が生まれたとは考えられない。部族社会は平等で部族の中では自由である。国家は強制的で威圧的である。

中国では秦が紀元前221年に初めて統一国家となった。中国古代の夏は政治単位3000、商(殷)が1800、西周は170、東周(春秋時代)は23、戦国時代が7。戦争によって国家制度が進化した。

インドでは強力な国家は生まれなかった。インドでは部族同士の激しい戦いはなく、原始的な首長制集団がBC500年位まで生き残った。インドの宗教は形而上的。インドでは宗教(バラモン教)が大きな影響をもった。バラモン教のジャーティ制度とヴァルナ制度が政治制度に制限を加えた。

イスラムでは軍事奴隷制度、マムルークが生まれ、オスマン帝国はイエニチェリという奴隷軍人を重用した。

西欧ではカトリック教会による、①近縁同士の結婚の禁止、②親類の寡婦との結婚、③子供の養子縁組、④離婚を禁止したことにより、親族集団が土地や財産を代々相続しにくくなり、部族制度が消滅した。 それに代わって西欧式の封建制が伸張した。