『アメリカ経済 成長の終焉 上』(ロバート・ゴードン著、日経BP社、2018年7月24日発行)

1870年から1970年までを「特別の世紀」と名付ける。この間は、電気、交通手段、食料保存、水道、医療、労働環境、住宅などすべての面で生活を変えた。この間の米国の経済成長は、特別なものであり、一度きりであることを主張する。1970年以降の変化は、娯楽、通信、情報技術に限られる。

GDPの限界、生活水準を測定できない点に注意すること。

1890年から2014年までのうち、1920年から1970年に労働生産性は大幅に上昇した。教育水準と資本の進化はあまり変わらないが、全要素生産性TFP)が伸びた。

1851年クリスタルパレスに出展された米国の機械に欧州人が驚いた。1869年大陸横断鉄道の接続を記念してゴールデン・スパイクが打ち込まれた。

第一次産業革命は、蒸気エンジンとその派生技術による。鉄道と蒸気船の発達。

第二次産業革命は、19世紀後半の電気と内燃機関による。空調、自動車、州間高速道路、航空機、娯楽の発達で、アメリカの各家庭の生活水準が大幅に向上した。

第三次産業革命は、1960年に始まる情報・通信技術による。

1870年から2015年の中で、1870年から1920年1920年から1970、1970年から2014年にわけると、1970年までは生産性や一人当たりGDPが急速に伸びた。これは第二次産業革命の効果が大きい。しかし、1970年以降は減速している。第三次産業革命は、娯楽、通信、情報分野なので範囲が狭い。

1870年の状況:

明かりは、ろうそく、鯨油、街頭から。製造業の動力源は蒸気エンジン、水車、馬、都市内部の移動はもっぱら馬に頼る。食料保存はできず、都市部では不衛生な肉、調理用燃料は薪や石炭。布・針・糸を使って家庭で作る衣料品。電気はなし。水道水、浴室、水洗トイレがない。都市の安月給の労働者は狭いアパートに暮らす。ものと人の移動は鉄道と馬。1872年北東部のあらゆる都市で馬の伝染病。1870年の新聞読者は260万人。出生時の寿命は45歳。医療従事者は免許なし。下水は濾過されないことが多かった。農業労働者が46%。

変化のスピードが速かった。1880年に電気が来ている家庭は1軒もなかったが、1940年には都市部の電気の世帯普及率は100%近くなった。上下水道の普及率も94%に達した。フォードT型モデルは1908年後半に生産開始、1927年まで生産され、累計生産台数は1500万台にのぼった。自動車の大量生産により馬から自動車に代わった。馬は扱いや馬糞などの始末が大変で疫病の元でもあったが、それがなくなったのは大きい。その他、健康、労働環境の改善など。1920年代は病院建設ラッシュ。消費者信用。