『ハイパーインフレの悪夢  ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する』(アダム・ファーガソン著、新潮社、2011年5月25日発行)

1913年第一次世界大戦前 マルク、シリング、ドル、フラン、リラの交換価値はほぼ同じ。1ポンド20マルク。

1914年~1918年マルクの価値は2分の1となる。ドイツでは1916年まで課税でなく、公債で戦費が調達された。

1918年8月までにその1/2となる。夏の終わりドイツ皇帝はオランダに、ルーデンドルフ将軍はスウェーデンに逃亡。1918年11月11日コンピエーニュの森で休戦協定調印。12月1ポンド43マルク。

1919年6月28日ヴェルサイユ条約調印

1919年8月1ポンド60マルク。

1919年8月1ポンド185マルク。

1920年初頭40分の1となる。ドイツの産業は好調。

賠償問題。ロンドン会議で1921年4月27日賠償委員会がドイツの債務総額を1320億金マルク(66億ポンド)に設定。1ポンド268マルクとなる。国家財政の赤字を補うため通貨供給量が増える。1921年7月がマルク安定の最後。

1921年8月エルツベルガー暗殺。株式売買や外国為替投資の増加で熱狂。

1921年11月1ポンド1040マルク。インフレで中産階級の資産価値が失われ、没落する。買い物客は店に殺到する。11月ベルリンで食料を求める暴動。12月2日ウィーン暴動。

1922年カンヌ会議。ドイツの厳しい仏ポアンカレが参加。

ドイツに失業者はいない。「過剰雇用、企業への補助金、贅沢品の輸入・製造、粗悪な徴税制度などで、紙幣が無駄に印刷され、それにより収入を上回る生活になっている」が、ドイツではインフレとマルク増刷の関係が見えず、大方の人間が物価高騰は外国為替相場の上昇が原因と考えていた(p.102)。企業は紙幣マルクの減価で債務が帳消しになる。1922年6月ラーテナウ暗殺。

1922年夏8月対ポンド9000マルクを超える。インフレ高進。銀行員の年収で4人家族は1か月しか暮らせない。労働者の賃金がインフレに追い付かなくなる。

1922年1ポンド3万4千マルク。1922年12月第4回ロンドン会議。

1923年手押し車の年。1923年1月11日ポアンカレがルールに進攻。ドイツは消極的抵抗、ドイツ産業の中央部は活動停止となり、1月末1ポンド22万7500マルク。過酷なインフレを呼ぶ。ルール紛争。8月1ポンド1600万マルク。

ライヒスバンクのハーフェンシュタイン総裁は通貨の増刷を最重要課題と考える。

1923年11月13日シャハトが通貨全権委員となる。

1923年11月14日1ポンド6兆マルクとなる。15日レンテンマルク始動。1兆マルクを1レンテンマルクに切り上げ。通貨が安定化する。