『大恐慌のアメリカ』(林 敏彦著、岩波新書、1988年9月20日発行)フーヴァー大統領とルーズベルト大統領の政策描写と、経済学者の分析が面白い。著者は筆力があり、読ませる。大恐慌の経過やまとめを含めて、入門者にも分かりやすく書かれていて良い本といえるだろう。
前後の大統領
ウッドロー・ウィルソン 理想主義。ベルサイユ条約批准の遊説旅行中に倒れる
ウオーレン・ハーディング 1921年~ 1923年旅行中に倒れ急死。23年8月クーリッジ副大統領が昇格
カルヴィン・クーリッジ 1924年大統領選で勝利。高潔な人格。経済の繁栄。大統領選不出馬
ハーバート・フーバー 1928年共和党候補で勝利。人道主義者、勤勉な大統領。農民や失業者の救済は連邦政府の仕事ではないとする。29年11月恐怖が問題と語る。
フランクリン・ルーズベルト 1932年大統領選でフーバーの高関税政策を批判して勝利。33年3月大統領就任。ニューディール政策
経済・関税・税
1920年代は経済繁栄。内国税は減税。関税が増えた。高所得者層の税負担軽減。
高賃金と高関税。1929年関税法。スム―ト、ホーリーという保護主義議員が関税法提出して成立。1929年6月成立、関税は平均33%から40%に引き上げられる。
金融・株価
ダウ平均は1929年9月3日が天井。10月1週、3週に暴落。10月24日暗黒の木曜日。28日、29日(火)連続暴落。30年4月戻り天井で32年まで続落する。1951年にピークを回復。
1931年オーストリア最大の銀行クレジット・アンシュタルト支払い停止で金融危機が発生。ドイツから資金逃避。フーバーモラトリアム7月6日。7月からイギリスが攻撃される。米国から金が流出し、米は金融引き締めへ。
米国1930年後半は農村部の中小銀行の危機。31年中ごろには都市部の大きな銀行に危機が広がり8月末までに932行が閉鎖。(前年は1350行)資金は預金から、郵便貯金、現金、金に移動。
連邦税収入が減少するなか、フーバーは均衡予算政策をとる。
1932年5月ボーナス軍。ボーナス法案は否決。マッカーサー軍が警察に代わって鎮圧。
1933年2月ミシガン州8日間の銀行休日。3月4日のニューヨークとイリノイ州で銀行休日により全米のすべての州で銀行が休日となり、支払いシステムが停止。
農業
1909~14年黄金時代。戦争で変わる。農産物価格は第一次大戦中にピークで大好況。戦後、32年まで下がる。20年代前半が戦時中の増産のつけで不況。
1910年から22年農家の負債残高が増える。23年負債ピーク。1921年農家純所得は前年比57%減。
工業
石炭・造船・鉄道も戦時中の過剰投資の付けで20年代構造不況となる。
住宅は復員兵で戦後ブームとなるが、25年をピークに下がる。5歳以下人口増加率減少、1921年、25年の移民割り当て法とにより、25年以降住宅需要が消滅。
28年から29年自動車ブーム
29年6月には、製品在庫が膨らむ。9月から生産を控え、労働者を解雇始める。
30年工業生産回復。商業建築の回復。30年5月から生産の減少。需要不足で物価が下がる。雇用削減のスパイラルとなる。賃金の下落が拍車をかける。
まとめ
フーヴァー大統領は、大恐慌の陥った時代に均衡予算に固執するとは、真面目過ぎたということか。大きな枠組みで考えないといけないこと。
ルーズベルトのニューディールは、不況対策としてはそれほど成果を挙げなかった。結局、第二次世界大戦で米国経済が活況を取り戻した。
チャールズ・キンドルバーガーのまとめが紹介されているが、一番腑に落ちる。彼は、イギリスが覇権国としての力を失い、米国が力をつけていたにも関わらず、世界経済のリーダーシップをとる意思をもたなかったという、経済的覇権の真空状態がもたらした出来事という。