ボーイング737:1万機製造された名機
737MAX8燃費向上大型エンジン
2018年10月29日ライオンエア(アジア発の737MAX導入航空会社)610便AOAセンサーの確度が21度ずれていた。離陸後13分で墜落。
MCASが昇降舵の制御を開始したため。
2019年3月10日エチオピア航空の737MAX8がアジスアベバ空港離陸後6分で墜落。
ソフトウェアがパイロットの意に反して機体を制御する。737MAXの運航停止は2年間。
米国産業はレーガン大統領(在任: 1981年1月20日 - 1989年1月20日)の革命で投資家の利益優先の姿勢となる。
737MAXには電子チェックリストが含まれていない。
2018年通常は300万件のフライトで1回。犠牲者のいない事故は41回でうち18件は737MAXによる。
ジェット商用機時代の到来
1952年4月 役員会は707の開発を承認した。過去7年間の利益の4倍。707のテストパイロット、アルビン・ジョンストンは危険な問題を解決するため、エンジニアに巨額の資金のかかる尾部をラダーの設計の変更を要求して通った。
737 チビちゃん。1965年検討中。空飛ぶフットボール。DC-9の競合機。テストパイロットの進言で再設計など問題が出たら修正。1967年デビュー。1972年14機しか売れず。
747ジャンボは会社の純資産に匹敵すると開発費。巨額の資金を要して、1969年破産寸前になる。1985年8月12日 日本航空123便墜落。
1974年~75年競合機DC-10が相次いで墜落。マクダネル・ダグラスの凋落。
エアバスの登場
1970年代の終わり757、767で電子チェックリスト装備。1982年頃の新型機。
1980年代はコストより品質を優先する会社だった。
ハブアンドスポーク時代で737が売れるようになった。
エアバスが1984年150人乗りA320発売。フライバイワイヤを装備。737のライバルとなる。737はケーブルやプーリーで操舵。
第4世代のフライバイワイヤ機(777、787含む)の全損事故率は、第3世代機(737含む)の5分の1
737シリーズは、ボーイングの主力機となった。1990年代には問題が露呈した。
777 1990年に提案される。最も成功したジェット旅客機のひとつ。当初はコンディット、次いでムラ―リーがプロジェクトリーダーとなる。1万人のチーム。1994年4月初号機。
利益重視の経営者
1980年代、マクダネル・ダグラスが凋落する。ウェルチの弟子であるストーンサイファーが招かれて経営にあたる。自社株を買い、研究開発費を減らす。マクダネル・ダグラスをボーイングに売却する。合併契約は1997年8月。マクダネルからやってきた役員が、ボーイングの経営や開発に対して与えた悪影響が大きかった。
ストーンサイファーがボーイングを粛清、株主優先の会社になる。GEからCFOを招き、財務優先の会社になる。
1999年アメリカ史上最大のホワイトカラーによるストライキ。エンジニアによるストーンサイファーへの反感。
2003年ストーンサイファーがCEOとなる。2004年4月 ANAが787ドリームライナーを60億ドルで発注し、プロジェクトスタート。資金投入を厳しく制限されたため、開発費は777の半分以下の見積もり。主翼は三菱重工業が開発した。部品製造事業も売却して外部調達にした。2006年11月787ドリームライナーのリチウムイオンバッテリーが試験中に発火、建物が高熱で全損した。
ジム・マックナーニ GEでウェルチの弟子。2000年ウェルチの後継者争いに敗れて、3Mに移る。3Mで資本支出、研究開発費、人員の削減を行い、当期利益を倍に。株価は30%上昇。2005年から15年にかけてボーイングCEO。787設計のアウトソーシングを進めた。アウトソーシング戦略は外注先に経験がなかったため失敗。大損失。ひたすらコスト削減を強調した。
SECは1982年に自社株の買い取りを許した。これにより企業の利益が自社株買いに費やされるようになった。
「事業を効率化し、コストを抑え、在庫を減らし」に優先事項を変更、737がドル箱に関わらず投資が行われなかった。エンジニアリングの会社ではなく、安物製品を販売する会社となった。価格を安くするためすべてをオプションにしよう、という考え方がボーイングにおけるトラブルのもととなった。
エアバスのA320Neo(ニューエンジンオプション)は2010年12月受注開始。11年6月のパリ航空ショウで1000機以上受注。7月アメリカンが数百機受注。ボーイングは対抗策として強力なエンジンを備えた737MAXを開発を決定する。派生機開発は25億ドル。新型機なら200億ドル。
FAAは民間航空の促進、助成、発展のための組織として、議会により1958年に創設された。FAAは2003年2月「顧客優先イニシアティブ」を開始した。顧客とは旅客ではなく、メーカーと航空会社である。監督責任をメーカーに譲り渡す。
2013年1月7日ボストンローガン国際空港のJAL 787がリチウムイオンバッテリの発火事故を起こす。1週間後ANA コックピットで煙の臭いにより高松空港に緊急着陸。FAA長官とボーイングは787の飛行継続を決めたが、運輸長官が787の運航停止を命じた。
737MAXの開発は、マックナーニ―の「多くのものをより安く」のコンセプトのもとで行われた。シミュレータ訓練の回避。コックピットの改良は最小限。電子チェックリストは採用せず。高速で急旋回すると機首が上がる問題を回避するためMCASを付けた。しかし、型式証明取得を軽減するためMCASの名前は使われず。コンピュータが指示を出す現代機のパイロットには737は手に負えない機種である。
2015年7月マレンバーグがCEOとなる。
2000年代にトレーニング事業に利潤を求めるようになった。パイロット研修の外部委託化。収支決算がすべてで社員が大事にされなくなった。
MAXの問題への対処
2016年1月MAX初飛行。試験中に低速飛行中も問題があることが発見されMCASが改善されて解決とされた。開発中に懸念事項が発見されても解消されなかった。2016年11月MAXのマニュアル作成責任者フォークナーは2年後に事故を起こすMCASの致命的な問題に気が付いたがFAAには報告しなかった。マニュアルにMCASの情報はほとんどない。
ライアンエアーの事故後ただちに、ボーイングは「AOAセンサーの情報が誤っていた場合、エレベータが繰り返し機種を下げる働きをする可能性がある」を認識した。
マレンバーグの不誠実な対応。
エチオピア航空機の事故で漸くMAXの飛行禁止となる。