『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』(古矢 旬著、岩波新書、2020年8月20日発行)

1970年代から2020年までをカバーする。戦後1970年代まで政府支出のGDP比が増え続けた。大きな政府を誰が支えるかという問題が続いている。

1970年代スタグフレーション。欧州と日本の追い上げで米国製造業の国際競争力は低下。1971年貿易収支が赤字に転化し慢性化。1973年変動為替相場制へ。

1966年結成の全米女性機構(NOW)は男女平等権修正条項(ERA)の連邦議会通過(1972年)、最高裁のロー対ウェイド判決(1973年)の成果を上げる。1982年ERAは不成立となる。保守的女性活動家であるフィリス・シュラフリーがERAと中絶問題を結び付けて党派対立を煽った。偉大な社会計画で黒人の貧困率が低下したが、その後、貧困率改善は停滞。70年代不況で黒人が職を失い都市のゲットーに集住するようになった。

1974年8月9日ニクソンがウオーターゲイト事件で辞任。フォード副大統領が大統領に昇格。1975年4月30日ベトナムにてサイゴン陥落。1970年代にワシントン政府への不信が多数派となる。

政党の衰退。官僚組織が政府の計画を作り、実行。選挙戦は候補者活動が重要となる。政治活動委員会(PAC)による政治献金

1976年民主党カーターが大統領選に勝利。地方主義、道義主義。インフレ率上昇を前政権から引き継ぐ。80年は12.5%となる。表面的収入増による機械的な税率アップで増税の時代。ボルカーFRB議長を任命。カーター就任時のプライムレートは6.8%から最後には15.27%に引き上げられる。1977年9月パナマ運河返還条約署名。1978年9月17日イスラエルとエジプトの和平合意。1978年12月15日米中国交正常化(鄧小平の時代)で米国の中国外交方針樹立。しかし、イスラム革命でイランとの同盟が消失、テヘランアメリカ大使館占拠事件を解決できなかった。

フリードマンサプライサイド経済学、トリクルダウン説に注目が集まる。「新自由主義」の誕生。宗教右派新保守主義者という保守勢力の台頭。

ニューライト(運動保守)による下からの保守化運動。

1980年大統領選挙当時米国はどん底だった。レーガンが大統領候補となる。保守派のアジェンダを確立。「アメリカを再び偉大な国にしよう」スローガン。右派路線に国民の信任が与えられる。レーガンニューディールと対照的に経済危機の主因は福祉の拡大で肥大化した政府にあると断じ、サプライサイド経済学に依拠した。大幅な減税は富裕層に偏る。国防費の増加で国債が増えた。ボルカーの指揮でFRBはインフレ抑制に成功した。しかし、81年末米国経済は不況となる。84年レーガン再選。双子の赤字問題。ドル高で貿易赤字拡大。1985年9月プラザ合意でドル安介入。貯蓄貸付組合(S&L)の規制緩和で金融投機熱。レーガン政権末期までに500組合が破綻した。レーガンドクトリンによる反共政策。しかし、中東はレーガンドクトリンのような善悪観では割り切れず。イラクと国境正常化、フセインを支持。パレスチナ問題でもつまずく。レバノンで241名の軍人が死ぬテロ。グレナダ侵攻。コントラ支援が議会の議決で成立すると違法なイラン・コントラ事件を起こす。レーガン軍拡、米ソの対立を「正と邪の、善と悪との闘争」と呼ぶ。SDI構想。1979年12月ソ連のアフガン侵攻。

1985年ゴルバチョフ就任で冷戦終結への動きが始まる。

1988年ブッシュが副大統領から当選。ソ連のアフガン撤退開始。1989年ソ連解体へ。ブッシュ政権末期軍事予算削減。平和の配当。1989年5月天安門事件中南米で米ソ代理戦争が終わり、麻薬の国際取引が中心課題となる。1988年イラン―イラク戦争終結。1990年8月2日イラククウェート侵攻。1991年1月16日「砂漠の嵐」作戦でバグダット空爆。ブッシュの任期中は外交中心。財政赤字と議会民主党による富裕層への増税。人種問題は鑑みられず。ロスでロドニー・キング事件への抗議運動による暴動が発生した。

1992年クリントンが当選。従来の大きな政府路線を否定するニュー・デモクラット。医療保険制度改革は完全に失敗。以後の米国の貿易交渉は2国間会議型になる。グラス⁼スティーガル法の廃止で銀行と証券会社の統合が自由化された。クリントン時代に金融の利益が占める割合が40%を超え、CEOと従業員の給与の倍率が飛躍的に大きくなった。

クリントン時代のグローバル通貨危機。米国ルールをIMFWTOで押し付けたグローバル化は貿易自由化政策が壁に。1999年11月末130か国のWTO会議での抗議。

不法移民の増加。1986年不法移民合法化策。1990年移民法で技能労働者枠。移民エリートはアメリカ経済優位に貢献したが、反移民連合も形成された。

2000年子ブッシュが大統領となる。21世紀にグローバル化は暗転。レーガンの政策をなぞる。

ITバブル崩壊。2001年12月エンロン破綻。

2001年9月11日同時多発テロ。10月アフガンに対テロ戦争。2003年3月20日イラク攻撃。2004年には厭戦気分でブッシュ支持率低下。大統領選は凡戦でブッシュ再選。

住宅ローンに民間が参入して2006年頃までにバブル化した。ブッシュ政権の持ち家政策で160万のマイノリティーズが自家所有者となる。2005年住宅価格が上昇から横ばいに転じ住宅ローン債務不履行が増え始める。2008年金融危機へ。

2008年オバマ当選。2016年トランプとともに異色の経歴。2回ともヒラリー・クリントンが本命候補と目されていた。この背景は、ワシントン政治が、国民の不満に耐えられないという実情があったのではないか?

オバマ政権はまず金融危機の終息へ。公共投資による経済復興と住宅救済策。住宅救済策を見て、大きな政府に反対するティー・パーティー運動が盛り上がる。2010年7月金融規制改革法(ドット⁼フランク法)が成立。トランプ政権2年目で中小銀行をドット⁼フランク法の対象外とした。オバマケアが最大の成果。

オバマクリントンの外交戦略の考え方の違いがあって外交は曖昧なものになった。

2011年12月イラク撤退完了。しかし、アフガンには増派を続け、対テロ戦争は深化。オバマ政権の中東外交への消極化はシェール革命による石油の中東依存低下があったのではないか? 中国が第2の経済大国となり、帝国主義的姿勢を示す。これにより、アメリカ外交は太平洋重視へ転換。

第2次オバマ政権は、共和党の歳出抑制強制で何も決められない政治となり失望が溜まる。

2015年イラン核合意。

2016年大統領選はトランプが当選。テレビで鍛えられた挑発の構図でライバルを蹴落とす。外交政策は不動産取引の延長上となる。

多文化主義はそれまでのアメリカの信条を破壊し、内部的分断化を招いたが、新しい統合のビジョンを打ち出せなかった。

80年代以降の経済政策から生み出された最大の問題は中産階級の没落と格差社会の出現である。1980年から2010年代まで所得格差が拡大した。白人労働者階級はグローバル化・オフショア化、ITによる高度化の時代の敗者となった。

格差の拡大に伴い、保守企業、高額所得者などの経済エリートと大企業を代理する圧力団体がアメリカ政治の政策決定過程に圧倒的な影響を及ぼすようになった。最高裁の判断がスーパーPACへの道を開いた。

2009年からのアウトサイダー大統領の統治で、アメリカと世界の関係は変わった。ポスト・アメリカ時代。

グローバル化の限界。グローバル化が生み出す利益の分配において、産業間・職種間の格差や相対的貧困の原因となった。

ネオリベラリズムのトリクルダウンは発生せず、格差の拡大に繋がった。

多文化の進展により、反多文化主義の牙城が見えてきた。

トランプ主義の「国境警備、経済ナショナリズムアメリカ第一の外交」は3つのトレンドへの反動といえる。

トランプの最大の問題はフェイクニュース

もう5年近く前の本なのだが、米国の現在の状況を理解するのに良い。現在のトランプの米国は、5年前の延長上にあり、米国の国家としての病理はますます悪化しているのだろう。