『南シナ海で何が起きているのか』(山本 秀也著、岩波ブックレット No. 956、2016年8月4日発行)

中国が九段線という条約上の根拠が不明確な境界線で南シナ海をすっぽりと囲み、「中国は南海諸島およびその周辺海域に対し、争う余地のない主権を有する」と主張した。

ハーグの国際仲介裁判は2016年7月12日中国の南シナ海での主張を全面的に退ける国際司法の判断を下した。

中国の行動の大本には大一統という中華帝国の伝統的な天下観がある。経済力と軍事力を備えるにつれて中国の主張がより高圧的になっている。

 

『南シナ海問題の構造 中越紛争から多国間対立へ』(庄司 智孝著、名古屋大学出版会、2022年1月15日発行)

2024/10/20読了。千代田図書館から借りた。

ベトナムとフィリピンとASEAN南シナ海問題へ対応の変遷を整理してる。中国政府の悪質さが印象的:隙あらば南シナ海の島を占拠、既成事実化する機会主義ぶり。約束を守らない嘘つきぶり。

 

 

『海の地政学 覇権をめぐる400年史』(竹田 いさみ著、中公新書、2019年11月25日発行)

米国の海洋パワーは捕鯨から。1776年独立宣言。19世紀初頭から貿易船と捕鯨船を守るために世界中に小規模な戦隊を覇権。19世紀中ごろからは太平洋での捕鯨(鯨油)が活発に、1860年代~1870年代に灯油が登場して捕鯨は衰退。ペリー来航は捕鯨船の拠点確保の目的もある。第1回目は1852年11月24日アメリ東海岸ノーフォークを出発、1853年7月8日浦賀沖に投錨。7か月。太平洋北部は海洋覇権の空白地帯だった。

1890年代後半にはカリブ海キューバ、プエルトルコ、太平洋のハワイ、グアム、フィリピンを実質的に領有していた。1887年ハワイ王国と協定。その後米系住民と海兵隊が軍事クーデターを起こして、親米ハワイ共和国。1900年米国準州、1959年に50番目の州となる。1898年からの米西戦争でグアムとフィリピンを獲得した。

1901年からセオドア・ルーズベルト大統領はアルフレッド・マハンに傾倒。戦隊を海洋パワーを前提とする艦隊に変更。1903年パナマを実質併合、パナマ運河建設着手。海洋秩序:日露戦争(1904~5年)の講和仲介で1906年ノーベル平和賞アメリカの世紀の夜明け。グレート・ホワイト・フリ―トとよぶ戦艦16隻による世界一周航海を実現。

1917年第一次世界大戦に参戦。①ドイツUボートの攻撃による客船沈没で128人の米個人が犠牲になる。②ドイツのメキシコ参戦勧誘電報事件により、世論が参戦になる。ウィルソンの14か条。海洋ルール「航行の自由」を提唱。

ヴェルサイユ体制。アメリカ主導の海洋秩序へ。1921年11月~22年2月のワシントン軍縮会議を主催。日本の大国化を阻止する目標。日本は加藤友三郎が主席全権。5:5:3を受け入れる。1920年~1930年代は国際協調の時代。

1939年9月ドイツのポーランド侵攻第二次世界大戦へ。

海洋ルール:1945年9月トルーマン宣言で大陸棚と資源管理の発想を持ち込む。

19世紀後半から20世紀前半は石油をめぐる争奪戦。米国大陸本土での石油開発から戦後は大陸棚の石油権益確保へ。

1958年第一次国連海洋法会議で大陸棚条約が採択される。

1982年国連海洋法条約で、領海、接続水域、無害通航、公海の概念ができる。

米国は深海の扱いに反対して、1982年国連海洋法条約の締結国になっていない。

レーガン大統領時代に海洋政策を発表。深海底を除いて、1982年国連海洋法条約の枠組みに従う。

国連海洋法条約アメリカ、西側同盟の軍事力で担保されているので機能してきた。

世界の警察官の原点は、1947年3月12日演説のトルーマン宣言(トルーマン・ドクトリン)にある。

1973年にベトナム撤退で中国が西沙諸島に軍事侵攻、1991~2年にフィリピン撤退で中国が南シナ海に進出して人口島を建設開始。

トランプ大統領は、2019年にホルムズ海峡で商船が被弾したとき、「アメリカは世界の警察官ではない」、「アメリカ単独で航行の自由を守ることはない」と発言した。

『従属の代償 日米軍事一体化の真実』(布施祐仁著、講談社現代新書、2024年9月20日発行)

尖閣諸島防衛のため奄美大島沖縄本島宮古島石垣島自衛隊の地対艦ミサイル部隊配置、今年4月に南西の壁が完成した。今後、米軍と一体化した指揮・統制下に入り、台湾有事への備えに変質する。

2023年3月石垣島に石垣駐屯地が開設され、我が国国防の最前線となった。12式地対艦誘導弾、03式中距離地対空誘導弾の発射機が置かれるミサイル要塞となった。12式地対艦誘導弾の射程は200キロで現在は台湾にも届かないが、射程を1000キロに伸ばした能力向上型を2025年度から配備開始の予定。1000キロだと中国沿岸部が射程内となる。

開発開始決定時(2020年)は防衛目的、2022年12月の安保三文書の閣議決定で、敵基地攻撃にも使えるものとなった。

米国はINF全廃条約を破棄して、新たな地上発射型中距離ミサイルの開発に乗り出している。

抑止力を高めるための軍備強化は安全保障のジレンマに陥る。

ASEANが主導する平和共存に乗るべきだ。米軍のベトナム撤退後、反共軍事同盟であった、東南アジア条約機構(SEATO)を解体(1977年)。タイ政府は米軍の完全撤退と要求(1976年撤退)。1976年2月ASEAN発足、東南アジア友好協力条約(TAC)締結。1990年代にインドシナ半島の国々が加盟。

1992年南シナ海に関するASEAN宣言。「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)構想」。大国間のパワーゲームを仲介する。

『サイバースペースの地政学』(小宮山 功一朗、小泉 悠著、ハヤカワ新書、2024年6月25日発行)

都心から1時間以上かかる、千葉ニュータウンはデータセンターのメッカ。

エンタープライズデータセンター

・ハイパースケールデータセンター クラウドサービス事業者が自ら設計し、運用する

・キャリアホテル 大都市の中心部にある。通信のハブ

2016年5月EU一般データ保護規則GDPR)発効

サイバースペースを支える海底ケーブル

1870年デンマーク大北電信会社がシベリア横断ケーブルの日本延長を明治政府に申し入れ。1871年~72年の長崎~上海、長崎~ウラジオストク間にケーブル敷設。

ケーブルシップ 5000トン級~は世界で45隻。NTT系のNTTワールドエンジニアリングマリン社、KDDIケーブルシップ社が各3隻。

海底ケーブルが新たな戦場になるか。

ロシア軍はウクライナ兵がもつ私物の携帯電話を広範にジャックしてみせた。戦場上空を飛行するドローンが携帯電話の電波をキャッチして、偽の通信ノードに接続してしまう」「この方法を利用してウクライナ軍指揮官を装い、偽の退却命令を出す」pp.164-165

『物語 メキシコの歴史 太陽の国の英傑たち』(大垣 貴志郎著、中公新書、2008年2月25日初版発行)

メキシコシティは標高2000メートル以上の高原地帯。可耕地面積は国土の15%。

ティオティワカン:メキシコ高原、紀元前後から7世紀、マヤ:紀元3世紀~9世紀、アステカ帝国:15世紀(室町時代)に栄えた。

1521年からスペイン帝国支配下にはいる。

19世紀初め人口600万人、6万人がペニンスラール(本国人)、100万人がクリオージョ(スペイン人の両親から生まれた白人)、60%が原住民、20%メスティソ(先住民と白人の混血)、黒人、黒人と先住民の混血。

1523年~托鉢修道会フランシスコ会ドミニコ会アウグスティヌス会)が布教開始

1572年~イエスズ会。

鉱山業が経済を支える。銀、鉛。17世紀には大西洋側ベラクルス港、太平洋側アカプルコ港。

1571年フィリピン占領。17世紀にはアカプルコとマニラ間でガレオン船貿易を開始。

1770年代人口増加と経済発展。

1776年イギリス領アメリカの独立

1810年9月16日独立戦争開始。ゲル・イダルコ神父の扇動による。1811年7月30日イダルコ銃殺。後継者モローネスは1815年12月22日処刑。

1821年2月イトゥルピデ王党軍将校と反乱軍が手を結ぶ。9月27日メキシコの首都に凱旋。メキシコ独立。

イトゥルピデが皇帝アグスティン1世に即位するが1823年イタリアに亡命。1924年帰国して銃殺される。

サンタ・アナ 1833年に大統領になる。1836年テキサス共和国独立宣言。テキサスのアラモ砦を攻める。しかし、ヒューストン軍に敗北。テキサス共和国独立を黙認する。フランスの攻撃と戦う。1846年再び大統領となりアメリカ軍のメキシコ侵略と戦う。1853年12月ラ・メシージャ条約で米国に国境地帯を売る。メキシコ国土は半減する。

ニート・ファレス:メキシコ建国の父、メルチョート・オカンボ、1858年1月からレフォルマ戦争1861年1月1日終結。ファレスが臨時大統領になって権力を掌握。

1862年イギリス、スペイン、フランスがメキシコ独立戦争中の損害賠償で出兵。イギリス、スペインは外交交渉で撤退。ナポレオン三世のフランスが軍を進める。マクシミリアン皇帝。1866年1月15日ナポレオン三世が撤兵決断。取り残されて銃殺される。

1867年7月5日ファレスが凱旋。民主的独裁者となる。1872年7月18日死亡。

ディアス大統領。長期政権。1911年5月に国外追放。1915年パリで死す。

マデロが1910年11月20日ディアス妥当の革命開始。

1913年守旧派と米国の結託で政府転覆。1913年2月9日マデロ大統領軟禁。2月22日銃殺。

メキシコ革命は1910年から1940年?ディアス打倒から始まる。いつまで?

1946年初の文民大統領ミゲル・アレマン

1958年文民大統領ロペス・マテオス

1968年メキシコオリンピック

1970年ワールドカップ

『エクソダス アメリカ国境の狂気と祈り』(村山 祐介著、新潮社、2020年10月15日発行)

アメリカとメキシコ国境。壁を越えるのは、メキシコ人だけではなく、中米、アフリカ、インドからの移民も。

サンティエゴの南、メキシコのティファナ。二つの都市は人口500万人の一つの経済圏だが、壁で区切られている。

16年11月米国大統領選でトランプが移民対策として掲げる。国境の壁の建設が始まったのは1989年。

1994年1月1日の北米自由貿易協定NAFTA)発効でメキシコの農業が崩壊した。結果、メキシコから米国への出稼ぎが急増した。

1995年1月24日ビル・クリントン大統領の一般教書演説で、「この国のあらゆる場所で、すべての米国人が、不法入国した膨大な数の外国人にかき乱されている。彼らがつかんだ仕事は米国人や合法的な移民が得ていたものかもしれない。彼らが公共サービスを利用することで、納税者にしわ寄せが押し付けられている」(トランプそっくり)

テキサス州ロマ。川を渡る移民。メキシコマフィアがコヨーテ(案内人)と移民を麻薬の運び手にする。

国境沿いは民主党の地盤で壁作りに賛成する人は少ない。壁作りに賛成するのは国境から遠い地域の人。壁で問題は解決しない。

2019年度はメキシコからの移民は減り、中米3か国からの移民が増えている。エルサルバドルホンジュラスグアテマラからは野獣というなの貨物列車に乗ってくる。エルサルバドルは殺人発生率世界一。マラスという青少年ギャング

インド、バングラデッシュ、東アジア、アフリカ(コンゴカメルーン)なども多い。

2018年10月キャラバンの発生。ホンジュラスのサンペテロスータから。

カメルーンでは仏語系と英語系住民で争い。英語系の分離独立派の大規模デモが治安部隊と衝突。治安部隊が家を焼き、人を殺すので逃げてきた。

エクアドルはビザなしで入国できる。そこからコロンビアのメデジンまで移動、パンアメリカンハイウェイが途切れるダリエンギャップをトウルボ(港町)~カナルブナまで船で移動、密林を抜ける。