『海の地政学 覇権をめぐる400年史』(竹田 いさみ著、中公新書、2019年11月25日発行)

米国の海洋パワーは捕鯨から。1776年独立宣言。19世紀初頭から貿易船と捕鯨船を守るために世界中に小規模な戦隊を覇権。19世紀中ごろからは太平洋での捕鯨(鯨油)が活発に、1860年代~1870年代に灯油が登場して捕鯨は衰退。ペリー来航は捕鯨船の拠点確保の目的もある。第1回目は1852年11月24日アメリ東海岸ノーフォークを出発、1853年7月8日浦賀沖に投錨。7か月。太平洋北部は海洋覇権の空白地帯だった。

1890年代後半にはカリブ海キューバ、プエルトルコ、太平洋のハワイ、グアム、フィリピンを実質的に領有していた。1887年ハワイ王国と協定。その後米系住民と海兵隊が軍事クーデターを起こして、親米ハワイ共和国。1900年米国準州、1959年に50番目の州となる。1898年からの米西戦争でグアムとフィリピンを獲得した。

1901年からセオドア・ルーズベルト大統領はアルフレッド・マハンに傾倒。戦隊を海洋パワーを前提とする艦隊に変更。1903年パナマを実質併合、パナマ運河建設着手。海洋秩序:日露戦争(1904~5年)の講和仲介で1906年ノーベル平和賞アメリカの世紀の夜明け。グレート・ホワイト・フリ―トとよぶ戦艦16隻による世界一周航海を実現。

1917年第一次世界大戦に参戦。①ドイツUボートの攻撃による客船沈没で128人の米個人が犠牲になる。②ドイツのメキシコ参戦勧誘電報事件により、世論が参戦になる。ウィルソンの14か条。海洋ルール「航行の自由」を提唱。

ヴェルサイユ体制。アメリカ主導の海洋秩序へ。1921年11月~22年2月のワシントン軍縮会議を主催。日本の大国化を阻止する目標。日本は加藤友三郎が主席全権。5:5:3を受け入れる。1920年~1930年代は国際協調の時代。

1939年9月ドイツのポーランド侵攻第二次世界大戦へ。

海洋ルール:1945年9月トルーマン宣言で大陸棚と資源管理の発想を持ち込む。

19世紀後半から20世紀前半は石油をめぐる争奪戦。米国大陸本土での石油開発から戦後は大陸棚の石油権益確保へ。

1958年第一次国連海洋法会議で大陸棚条約が採択される。

1982年国連海洋法条約で、領海、接続水域、無害通航、公海の概念ができる。

米国は深海の扱いに反対して、1982年国連海洋法条約の締結国になっていない。

レーガン大統領時代に海洋政策を発表。深海底を除いて、1982年国連海洋法条約の枠組みに従う。

国連海洋法条約アメリカ、西側同盟の軍事力で担保されているので機能してきた。

世界の警察官の原点は、1947年3月12日演説のトルーマン宣言(トルーマン・ドクトリン)にある。

1973年にベトナム撤退で中国が西沙諸島に軍事侵攻、1991~2年にフィリピン撤退で中国が南シナ海に進出して人口島を建設開始。

トランプ大統領は、2019年にホルムズ海峡で商船が被弾したとき、「アメリカは世界の警察官ではない」、「アメリカ単独で航行の自由を守ることはない」と発言した。