『雇用か賃金か 日本の選択』(首藤 若菜著、筑摩選書、2022年10月25日発行)

前半は、新型コロナウィルス感染症流行により需要が急速に縮小した航空業界の雇用調整について、日本ではANAホールディングス、米国ではユナイテッド航空アメリカン航空、サウスウェスト航空、英国のブリティッシュエアウェイズ、ドイツのルフトハンザ航空などを中心に雇用調整の方法、速度、などについてまとめた報告である。

後半は、少し長い期間での雇用調整の実例として、バブル期に最大となり、その後凋落を続けるある百貨店での雇用調整を調べてまとめた本である。

コロナウィルス時の雇用調整は、コロナの終息までの期間になるがその期間が見通せないこと、各国とも政府による雇用の維持策があったがその期間が限定されたり、議会での承認を必要とするなどの政治的の影響を受けるなどの制約がある。そこで、企業単位での対応策が必要となる。

日本では、雇用を維持しながら、当初は、賞与の削減、手当の削減などの賃金削減策が取られた。その後、希望退職などが募られた。一方、米国では賃金削減策は労組に受け入れられがたく、希望退職のあと、一時解雇策が取られた。両国で速度と対応の内容に差があったという。英国は比較的米国に近く、ドイツは日本に近いようだ。

こうした比較研究によって、雇用調整への取り組みの違いが明確になると参考になる。願わくば、もう少し計量的な、数字を使った解説が欲しかった。

百貨店の調査も参考になるが、こちらは長期的な対応策なので、賃金調整よりも、社内配転、出向、転籍などの組み合わせでいかに雇用を維持するかという点が主眼になる。衰退する業種では賃金を上げにくいが、賃金を下げていくのはさらに困難なこともあるのだろう。

『アベノミクスは何を殺したか』(原 真人著、朝日新書、2023年7月30日発行)

13人の論客と整理するアベノミクスアベノミクスとはなにかの定義もあまりはっきりしていないが、本書の多くの部分は日銀の大規模緩和に関する議論である。

もともと著者が反アベノミクスなので、いろいろな角度からの反対意見を述べる人が多い。しかし、傾聴に値するのは翁氏と白川氏の金融政策にかかわる議論。ほかの人の議論を聞いてもあまり益するとことがないように感じる。議論がそもそも現実に即していない人が多いようだ。一番極端なのは藤巻氏である。彼は10年以上前から同じような極論を発信しているが、彼の意見は現実とかけ離れている。

あまり読む価値のない本といえる。

『足利将軍たちの戦国乱世 応仁の乱後、七代の奮闘』(山田 康弘著、中公新書、2023年8月25日発行)

戦国時代も将軍の利用価値があったという点に着目したのは慧眼。

足利幕府は直轄領が少なく、直轄する軍事力もないため、大名に依存せざるを得なかったという点が、徳川時代とは大きく異なる。徳川は最後は軍事力で勝ち残った政権でもある。それにしても、足利尊氏というとマイナーな存在だが、足利幕府が15代200年あまりも続いたのを改めて認識して、少し驚いた。

日本の戦国時代を現在のグローバルな世界、すなわち国民国家の群立と国連などの実力軍を持たない国際機関という構図に見立てる考え方も面白い。現在、世界各国の時間距離、相互依存関係は、戦国時代の大名間と同じくらい距離の距離感といえるのかもしれない。

本書の見立ては地政学とはまた違った観点で面白い。地政学は国連などの調整役を考慮せず、パワーセンターがどこかを見て、その構造で戦略を立てるのだろう。地球の陸地をプレートで分割するプレートテクトニクス的な2次元な見方のようだ。

『封じ込めの地政学 冷戦の戦略構想』(鈴木 健人著、中公選書、2023年3月10日)

アメリカのソ連専門家であり、マーシャル国務長官トルーマン大統領)が設置した政策企画室の初代室長(1947年5月5日~1949年末まで(?))を務めたジョージ・ケナンの政策を中心に米国の対ソ封じ込め戦略の成立や目的について解説した本である。

第2次大戦まで米ソは同盟国として戦ったが、戦後はヨーロッパを中心に対立する。戦後のしばらくは、ベルリン危機(1948年6月24日~)を含む東西ドイツ問題、欧州の戦後処理、北大西洋条約(1949年4月4日)、ソ連の核開発、朝鮮戦争の勃発(1950年6月25日)など大きな問題が多発したあわただしい時期であった。

地政学的な5つのパワーセンター、米、ソ、英、独、日という認識に基づく。ただし、アメリカは東南アジアにあまり経験がなかった。

1989年12月マルタ島での米ソ首脳会談でブッシュとゴルバチョフは冷戦の終結を宣言。1991年12月25日ソ連邦が崩壊。

『イングランド銀行公式 経済がよくわかる10章』(イングランド銀行他著、すばる舎、2023年8月26日)

一般人に経済学の基礎的な話を説明しようという企画によって出版された本。日本ではなかなかこうはいかないかもしれない。

 

内容はあまり目新しいものはないが、いろいろ逸話がのっているのが楽しい。一番かわいそうな例はイスラエスに住む女性が母親にマットレスをプレゼントした話。捨ててしまった母親の古いマットレスには人生で稼いだ100万ドルが現金で縫い付けられていたため100万ドルが失われたという。なぜお金を銀行に預けないのか? 銀行の役割の一つにお金を安全に預かるということがあるという説明としてはこれ以上ないほどの適切な例かもしれない。

 

こうした逸話が随所にあるのは読んでいて楽しい。それにしても、イングランド銀行は総裁が市民パネルに出席するとはなかなかのもの。日銀の総裁も統計データをみるだけではなく、市民パネルで市民の声をきいたらどうだろうか。

 

『21世紀の財政政策』(オリヴィエ・ブランシャール著、日本経済新聞出版、2023年3月17日発行)

数式が多く難解だが、r-g<0(実質経済成長率より実質安全金利が小さい)なら債務は償還されなくても、新たな債務が発行されなければ、生産に対する債務の比率は低下する、という箇所が印象に残る。

日本語版への序文に本書執筆の動機は日本経済の経験の研究にあったという。

先進国は全体として、実質金利が低下する長期低迷の時代になっている。金利が低下しすぎて中央銀行の金融政策の余地がなくなった状態では、財政政策が重要というのが本書の結論のようだ。

『関東軍ー満州支配への独走と崩壊』(及川 琢英著、中公新書、2023年5月25日発行)

日本の現代史・昭和史の中で、大きな影響力をもったものが関東軍満州事変だろう。本書は、その関東軍について成立から消滅まで詳しく(初心者には詳しすぎるともいえるが)解説する。なかなか読みごたえがある。

関東軍を象徴する人物といえば、やはり石原莞爾だろう。本書で石原莞爾を辿ってみる。

石原莞爾は1928年10月関東軍参謀(作戦担当)として関東軍に赴任、11月1日関東軍作戦計画起案に着手。有事の際の作戦計画を確定する。1930年に入ると各所に時論を説いて回る。1931年5月末、「謀略に関する打合せ」、6月8日奉天謀略に主力を尽くす。

8月1日、本庄繁が関東軍司令官となる。18日午後10時20分に柳条湖での満鉄爆破事件が起きる。本庄は満鉄沿線広域にわたる出動命令を認める。10月2日満鉄問題解決案で満蒙を独立国にすることを打ち出す。10月8日錦州爆撃。1932年1月錦州占領。

1932年3月1日満州国建国宣言。奉天省吉林省黒竜江省熱河省、蒙古省(興安省)を範囲とする独立国。

1932年8月異動で荒木陸相関東軍から建国派の転出を図る。石原は陸大教官兼参謀本部附となる。林陸相・永田軍務局長になって建国派復権。石原は参謀本部作戦課長となる。1935年8月極東ソ連軍と在満日本軍との戦力差に愕然となる。1936年6月戦争指導課長となる。ソ連打倒の戦争準備計画を作る。

1935年秋宮崎正義を日満財政経済研究会の主事とし、軍需産業立案計画を進める。1937年1月満州開発5か年計画が完成。しかし、関東軍の後輩が石原を見限り始める。関東軍が石原を真似て独走、モンゴル独立へ綏遠武力工作。石原には止められず。

1937年3月参謀本部第一部長(キャリアのピーク)。1937年7月7日盧溝橋事件で支那駐屯軍に不拡大指示。しかし、陸軍中央は拡大派が大勢。拡大賛成論に敗れる。

関東軍参謀副長に転出(1937年9月~1938年12月)。自らが進めた下克上のつけを払わされる。1938年8月無断帰国、1938年舞鶴要塞司令官、1939年8月第16師団長中将、1941年3月予備役編入となる。

歴史の結果論からみると、日本の歴史の中で盧溝橋後の中国戦線拡大が滅亡に繋がったことを考えても、石原莞爾の長期戦略眼は優れていたと言えよう。しかし、人望に不足していた。