「遠い崖 ―アーネスト・サトウ日記抄」感想2 第11巻北京交渉

ハワイにやってきても、「遠い崖 ―アーネスト・サトウ日記抄」を読み続けているところ。

激動の明治時代を描いている点、登場人物が多彩で、日記や私信を直接引用しているのでそれぞれの人格がよくわかる点で実に興味深い。

第11巻の北京交渉の経過を読む。明治時代の台湾出兵の顛末、その後始末をめぐる大久保利通が北京で行なった交渉の話である。粗筋は別の本でも読んでいたが、改めてこの書で見ると、日本の手続きの杜撰な点があったと思う。

ことの発端は、台湾に漂着した琉球人40数名(だったと思う)が台湾の「生蕃」に殺されてしまったという明治4年に起きた事件である。これについて、日本政府が清国に対して文句を言った。これは、台湾が清の属領であるという判断に基づくのだろう。これに対して、清側が台湾の「生蕃」は「化外の民」であって、これの責任を問えないとの回答をしたようだ。

しかし、後のほうを読んでいくと、この回答は文書でなくて口頭でなされたもののようである。このあたりのところでまず交渉経過がきちんとした記録に残っていなかったようだ。

しかし、日本側は明治7年に台湾出兵を強行してしまう。このとき上の回答を理由にしているのだが、国の将来を危うくするような海外出兵や国際紛争の解決策としては前提条件が曖昧すぎる。

そこで北京における大久保と清側の交渉は完全に対立して2回も決裂寸前になる。この本来決裂するはずの交渉がまとまったのは、英国の実質的な仲介があったからだが、それがなかったら日本は台湾から撤退することもできず、さりとて清に戦争を仕掛ける大義名分もない、という立ち往生の状態に陥ってしまったのではないか。

英国の駐北京公使がなんども仲介を申し出たが、大久保は自分で解決するといいながら結局決裂して日本に帰ることになった。それにも関わらず、英国側が清の関係者と意思疎通をはかった結果、日清間の合意に至る。

英国が積極的に仲介したのは単純に日清で戦争状態になれば、貿易に頼る英国の損失が大きいということなのだが、英国の仲介により、この無理な話が日本側の有利なように決着がついてしまった。結局、日本が清から賠償をとって撤退した形になり、結果オーライなのだが経過は出鱈目である。あるいは戦略性はまるでない。

こうした結果オーライだけで自尊心が肥大化したあたりに日本が軍国主義帝国主義に走った基点がありそうな気がする。