『海のアルメニア商人―アジア離散交易の歴史』(重松 伸司著、集英社新書、2023年4月22日発行)

アルメニア商人の歴史を辿った異色の書。

アルメニアギリシャ・ローマ時代から登場する。紀元前400~300年に自治・独立し、紀元前80年頃に最大版図を得る。その後は大国のはざまで分断。

近世で独立国になったのは1991年。カスピ海黒海の間の山岳地帯にへばりつく3万平方キロ程度の高地、300万人が居住する。しかし、海外に居住するアルメニア人は推定800万人(2010年)。本国の3倍。

※どういう人をアルメニア人と定義するのか? あまり明確ではないが。

交易の民として知られる。16世紀末まではジュルファを拠点としてユーラシア貿易を行っていた。1580年代ジュルファはオスマン帝国に、1604年イランのアッバース一世がジュルファからアルメニア人を強制移住させ、廃墟となる。イスファハンの近郊に新ジュルファを作り、人頭税を支払ってサファヴィー朝の保護を受ける。17~18世紀新ジュルファを拠点に北方、西方、東方貿易を行う。

アービトレージと呼ぶ独特な交易。各地で特産品を購入して、移動先で売却して利を得る。ポルトガルやイギリスのような単一商品を、大きな商船で運搬して利益を得るのとは違う。

北方・西方回路は、大国間の争いで困難になる。インド交易回路は18世紀まで続く。交易都市が巡回交易ルート上にあり、定住地になっていた。

海路も古くから利用していたが、1622年サファヴィー朝がホルムズを奪還したのを機に、海路利用が広がる。バスラ~ホルムズ海峡~アラビア海~インドのスートラへ。スートラがアルメニア人の交易拠点。スートラ~マドラスマドラスからマラッカ、ペナン、マニラへ。

1688年イギリス東インド会社(EIC)と交易協定。EICに10%の舶載料を払って、EICの船を使って運搬する。アルメニア商人の自由貿易に制限を掛ける。スペイン支配のマニラ交易にアルメニア商人を使って食い込む。EICはインド沿岸部に商館を多数設立。アルメニア商人は陸路から海路貿易に転換。

ホテル経営も多かった。ボーディング・ハウス、クラシックホテル、クラブハウス。20世紀初頭東南アジアのホテル王サーキーズ四兄弟。マラッカ海峡の都市に次々とホテルを創業。『ラッフルズホテル