『イスラームから見た世界史』(タミル・アンサーリー著)

オスマン帝国の誕生13世紀末〜

メフメト二世(1433〜)がコンスタンティノープルを奪取する。イスタンブルに改名。ウルバン(ハンガリー人の技師)の射石砲は象徴的意味。オスマン朝は、ヨーロッパとアジアにまたがる帝国となる。現在のアメリカに似た多様な人々が居住する社会を形成した。

ミットレトと呼ぶ宗教共同体。例えば、ユダヤ教徒。ヨーロッパ各地から迫害を逃れたユダヤ教徒が集まる。

その他の社会の複雑な社会の仕組みが、16世紀はよく機能した。

この頃はヨーロッパが隆盛に向かう時期と重なる。

オスマン帝国の終わり(pp. 410〜)

停滞 領土の拡大がとまる。デヴシルメ制度の箍が外れる。イエニチェリの世襲エリート化で社会階層の固定化。

ヨーロッパ商人が入り込む。原材料を高価に調達。材料価格の上昇、ギルドが利益をあげられなくなる。国内産業の衰退。

外国からの資金流入でインフレーション。固定給の官僚・高官が苦しくなる。賄賂。

サファヴィー朝ペルシャの消滅、ムガル帝国の解体は、ヨーロッパの浸潤による。貿易会社が現地の地場産業を破壊したのは、オスマントルコと同じ。