『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか』(ジェフ・ジャービス、東洋経済新報社、2016年6月)

この人が言っていることは、表現はなかなか過激である。しかし、おそらく正しい。

「新聞社や雑誌社は、できるだけ早く、印刷媒体の維持が不可能になるのは(また、少なくとも主たる収益源でなくなるのは)いつかを予測すべきだ。「何年何月何日とはっきり日付まできめるべきだろう。」(p.224)

「メディア企業は、今後はコンテンツビジネスをすべきではない…コンテンツビジネスには将来はない。」(p.332)

その主張は論理的にはその通りだろう。現実の状況によって多少の時間の差があるが。

いままでのマスメディアのニュースの扱い方はインターネットの普及によりなりたたなくなった。

すくなくとも、ニュースを集めて新聞のようにパッケージ化して流通する仕組み、紙で一方向きに情報を配布するという仕組みは、まずスピードでインターネットにかなわない。

インターネットが無料であることによってコストでもかなわない。

媒体の希少性では商売できない。

「大部分の新聞には、オンラインで有料にできるほどの価値はない。」(p.346)

これらは認めざるを得ない事実だろう。

事実を伝える情報には所有権は認められない。所有権は認めるべきではない(pp.360-361)。その通りである。いちいちうなずける。

(しかし、現在の著作権法はそうなっていないだろう。情報をだれでも二次加工できるようにするには著作権法の改正が必要である)。

コンテンツビジネスができないとすると広告モデルだろうが、広告モデルはコンテンツ保有者ではなく、検索エンジンなどのプラットフォーム会社に依存してしまう。

情報が必要なのは確かである。そのためにジャーナリストが必要である。しかし、ジャーナリストの集団に収益を返す枠組みが作れないのだろう。

新しいビジネスモデルが必要なのである。しかし、抜本的なフレームの変更だけに大変な難産になるのだろう。