『セイビング・ザ・サン リップルウッドと新生銀行の誕生』(ジリアン・テッド著、日本経済新聞社、2004年4月23日発行)

1998年破綻処理・国有化された日本長期信用銀行長銀)の誕生から破綻処理により国有化、そして国有化からリップルウッドに買われて新生銀行として再上場するまでの物語である。

長銀は、1952年池田勇人内閣の長期信用銀行法にもとずく金融計画に沿って設立された。1970年代までの高度成長においては企業の投資資金の金融に大きな効果があった。しかし、企業が成長し内部留保ができ、また資金調達の方法が多様化するにつれて役割を失った。本来はその時点で解散するなり、事業内容を融資中心から他の事業に転換する必要があった。1985年には内部で改革案を作成したが採用されるところとならなかった。

1980年代半ばから不動産投資にのめり込む。イ・アイ・イー・インターナショナルの高橋へのじゃぶじゃぶな融資がその典型である。1989年の金融引き締めでバブル崩壊が始まると、1990年には日経平均の大幅な下落、土地価格の低下で苦境に陥る。1998年の金融システム安定化への米国からの圧力もあり、1998年秋に国有化された。

1998年秋瑕疵担保条項付きで日本政府よりリップルウッドに売却されることが決定し、2000年春に八城が社長となる。新生銀行は瑕疵担保条項を使ってそごうなどの不良債権を政府に戻す。政府との戦い。リテール分野への進出。投資銀行部門への進出。これらの結果、2004年2月19日再上場を果たす。

新生銀行の戦いは、アメリカ文化と日本文化の戦いでもあった。長銀ビジネスモデルが通用しなくなっても自ら変革できず、不動産投資というバブルに走った。当時は日本の金融界全体は同じ行動をとっていたのだが、なんて愚かなのかと思わざるを得ない。