『検証 経済迷走』(西野 智彦著、岩波書店、2001年7月発行)

主に1998年の金融危機について、金融システムの安定化をめぐる迷走の報告である。後書きにいうように、98年の危機は官から政治に主導権が移った年のようだ。大きな要因は、大蔵省の解体と金融監督庁の誕生にある。自公与野党協議で金融再生法の成立。金融監督庁の主導で長期信用銀行日債銀が特別公的管理になった。

まず、1997年11月28日に、財政再建を最大の目標とする橋本内閣の財政構造改革法が成立したが、この時には、金融不安がピークを迎えていた。

11月には3週間の間に、三洋証券、北海道拓殖銀行山一證券徳陽シティ銀行が破綻。11月26日は一部銀行で取り付けらしき騒動が起きる。一般金融機関への公的資金注入論議が始まる。

景気の悪化で、財政出動を迫られる。2兆円の特別減税と財政構造改革法の矛盾で政権が曲がり角になる。

97年特捜部の大蔵捜査。98年1月ノンキャリア2名の逮捕、三塚大蔵大臣の辞任。小村次官の辞職。

海外の日本批判。

銀行の自己査定で不良債権76兆円。98年2月16日30兆円の公的資金枠を盛り込んだ金融機能安定化緊急措置法と改正預金保険法が成立。全銀協は17日公的申請申し込みを申し合わせ。18日法施行。金融危機管理審査委員会(佐々波委員会)が発足して資金注入の審査を行った。日債銀の健全性が問題となる。3月12日までに21行に1兆8156億円の公的資金投入を承認。

接待汚職捜査。3月5日キャリアの榊原課長補佐、ノンキャリアの宮野逮捕。6日後日銀証券課長吉沢逮捕。日銀松下総裁、福井副総裁は引責辞任。大蔵省の長野・杉井2名が接待の多さにより辞任する。

1998年3月には減税論議開始。4月4兆円減税。財政構造改革路線を転換。内閣の求心力が落ちる。4月から再び株価が低下。円安が4月129円から5月18日135円に進む。

6月長銀危機始まる。97年7月スイス銀行と提携したが、提携で追い詰められる。株価は下がり合併を模索。住友信託との合併が有力となるも、住友信託内部で反対論がある。

大蔵省を解体し、金融監督庁が6月22日発足する。

7月12日選挙では橋本自民は大敗北する。7月30日で橋本は去る。

8月小渕内閣発足。

長銀危機。資金繰り難。8月末あたりから何時倒れてもおかしくなかった。

10月12日金融再生法の成立。長銀は、10月23日金融再生法36条に基づき、破綻認定し、特別公的管理に置かれる。危機勃発から4ヵ月。

11月16日監督庁検査部は、日債銀に対して、98年3月時点で944億円の債務超過。株の含み損を加えると実質債務超過が1803億円拡大する旨通告。12月13日日債銀も金融再生法36条に基づき、破綻認定し、特別公的管理に置かれる。

99年は、銀行再編にひた走る。

2000年春小渕死亡、その後の森は景気主導で財政規律を緩める。

2001年小泉内閣で聖域なき構造改革を旗印とする。

(感想)消費税アップと財政規律という北風政策は現実には難しく、却って国の力を弱めてしまっているように感じる。また、公的資金投入にも関わらず、延々と金融危機が繰り返し続くのは、やはり対策がツーリトルではなかったのか。