金融危機は米国では一旦鎮静化した。その影響で国家財政が落ち込んで2010年には緊縮財政に向かった。
ギリシャ、アイルランド、ポルトガルでは危機が国家財政に破滅的影響を与え、持続不可能な状況に陥る。ギリシャはもともと政府債務が大きすぎた。ユーロ圏に属さなければまっさきにIMFの支援プログラムの対象のはず。アイルランドはオフショアバンキングのハブで、2008年9月30日、銀行債務をアイルランド政府が保証するとして支援に乗り出し、財政が破滅的になった。合理的にはアイルランドやギリシャでは債務再編でしか解決できなかったはずだが。しかし、そうするとシステミックリスクが再燃したかもしれない。債務再編が必要なのにEUにはそのメカニズムがない。マーストリヒト条約は加盟国同士の相互支援を禁止、2009年12月発効のリスボン条約も債務の相互化を禁止している。
2008年には一国レベルだったが、2010年には欧州の単一通貨制度が解体の危機に追い込まれる。ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペインに対する外国銀行の貸付を総額は2兆5千億ドル。フランスとドイツの銀行が5千億ドルずつ貸し付け。他にイタリアの政府債務。2010年春ギリシャ政府がフランス政府と相談したとき、フランス政府は「先送りとごまかし」=欧州全体による支援を選んだ。しかし、ドイツは救済のシナリオを拒否、メルケルとアメリカ政府はIMF支援を提案し、2010年3月25日ECBとフランスの反対を押しきる。EU、ECB、IMFのトロイカで緊縮財政を押し付ける。4月ギリシャ危機。5月10日ECBがギリシャ国債購入を可決。ギリシャ危機がシステミックリスクに発展しないようにIMFは5月9日理事会で融資を可決。
英国は2010年選挙で労働党から保守党に変わる。2010年から2015年までに年間歳出を980億ポンド削減。2009年9月公共部門職員644万人を2016年7月543万人に削減した。ドイツは2010年6月大規模な予算削減を発表。債務ブレーキ。ギリシャでは負のスパイラルに陥る。米国は逆。2010年米国の失業率は10%近くで高止まり、オバマは中間選挙で歴史的大敗。経済対策を決めるが中途半端。2010年11月3日FRBの量的緩和第2弾(QE2)。これは欧州の銀行が米国債を売ってドルを積み上げる結果となった。
2011年春欧州は緊縮財政と増税で内需減退、EUの失業率は10%。15-24歳は20%。アイルランドは15%、30%。ギリシャは14%、37%。スペインは20%、44%。市民の怒り。2011年4月ギリシャの返済期限見直し要請。
2012年7月26日ドラギECB総裁の「必要なことはなんでもする」発言で急性ユーロ危機は食い止められた。
アメリカ2008年はクライスラーもGMも政府に救済された。2013年「過去20-30年間慢性的な低成長だった」と認識した(サマーズ)。2009年~2013年の景気回復が生み出した経済成長の95%を上位1%の富裕層が独占している。平均的なアメリカ人は長期停滞。経済成長と社会の発展の乖離。アメリカでは富裕層が権力を持ちすぎている。
2010年11月3日QE2、2012/9/13QE3。(2014年7月QE3終了)FRBのバランスシートと株価の変動がぴったり合う。経済の実態ではなく、金融政策中心に物事が動く。2012年には3680億ドルが新興市場に流れ込んだ。世界的な信用サイクルの巨大化。FRBがQE3を終了したら? テーパリングによる新興国の債務危機が生じる。2013年10月31日中央銀行の流動性スワップの常設化。
EUはEU連合協定による東方パートナーシップ交渉。ロシアはユーラシア関税同盟の発展を望む。二つは相いれない。ウクライナは選択を迫られる。2014年2月27日ロシアによるクリミア半島掌握。数日後ウクライナ東部ドネツク州の親ロ分離主義勢力反乱軍支援。2014年7月マレーシア航空17便撃墜。ロシア制裁強化へ。石油の下落とルーブルの下落が軌を一にする。ロシアの苦境は周辺国の苦境でもある。2015年3月11日ウクライナはIMF支援に頼る。2017年7月ウクライナとEU連合協定が批准される。
2013-2014年ドイツは欧州で独り勝ち。ユーロ圏経済は2011-12年緊縮財政で疲弊する。2012年にユーロ危機を抜け出したかに見えたが、2014年には再び窮地に。2014年の欧州議会議員選挙で欧州懐疑主義、ナショナリストが躍進する。2015年1月ギリシャではシリザの政権が成立。2015年1月ECBがQEに踏み切る。2015年2月~7月トロイカ債権団とシリザの厳しい交渉。ドイツは非妥協的だったが、メルケルが欧州を崩壊させた首相になりたくないという政治的な判断で妥協する。ギリシャにさらなる融資。
市場が世界を支配しているというグリーンスパンの考えは非現実的で、2008年の金融危機は国家が大規模な介入を行って市場を統治した。2016年の米大統領戦は2008年が焦点となった。
2015年6月上海総合株価指数5166の高値から3週間で30%暴落。市場介入で一時持ち直し、2016年1月4日再暴落、2月には6か月前の半分2737ポイントになる。2015年8月中国政府の為替取引自由化で人民元が下落。中国からドルが逃避。2008年の中国は古典的グローバリゼーション。その後、中国の近代化でグローバルな金融システムに組み込まれる。 FRBのQEでドルの金利が低く、ドルで借りて元で運用するドル―元のキャリー取引の条件が整う。為替の規制があるときは、ドルで借りて、コモディティを買い、コモディティを担保に元を借りて、中国で投資する。利益は、①金利差、②人民元に対するドルの下落、③コモディティ価格の3つで得られる。2015年QEの終了で歯車が逆回転し、元の売りが殺到する。