『毛沢東の朝鮮戦争』(朱建栄著、岩波書店、1991年)を読んだ。
国民党との内戦に勝利した直後の新中国が、朝鮮戦争に参戦するまでの、毛沢東を中心とする指導部の意思決定の過程を分析したすばらしいレポートである。
朝鮮戦争の経過を簡単に復習すると:
金日成が指導する北朝鮮軍が1950年6月25日に戦端を開いた。緒戦は、北朝鮮軍が準備不足の韓国・米軍を朝鮮半島の東南端まで追い詰める。
次のステップは、9月15日マッカーサーの仁川上陸作戦で逆転を果たした国連軍が、鴨緑江目指して北上。金日成に無条件降伏を勧告するところまでいく。
10月19日に、中国義勇軍(実態は中国人民軍)の大軍が鴨緑江を渡って参戦。国連軍のクリスマス攻勢があったが、マッカーサーの戦術ミスもあり、51年1月までに義勇軍は38度線の南まで国連軍を押し返す。
その後は、38度線のあたりで膠着状態から、停戦協定。
という波乱万丈の戦争となった。
この本では中国の意思決定過程を分析しているのだが、中国の指導部の中に、朝鮮戦争に参戦するべきではないという意見も多い中で、毛沢東が中心となって参戦を実現するまでの大よそ、6月から11月までの、意思決定の過程をたどっている。
当時の中国指導部は、まだ毛沢東の独裁ではなくて、各指導者がかなり自由な意見を述べていたこと。毛沢東がそれらの意見をかなり取り入れていること。参戦反対の急先鋒であった林彪の義勇軍総司令官就任拒否などはその典型例である。その結果、意思決定のための会議を何度も開催し、参戦命令発信とその取り消しを繰り返しながら、全体としての決定と参戦にもっていくという過程について、さまざまな証言を引用しながら解説している。
それにしても、この本を読んで分かることは、毛沢東の戦略眼もさることながら、人心掌握・誘導、戦争指揮などの戦術がすごいことである。
スターリンは、米国との直接対決を望んでいなかったということなので、もし、毛沢東が参戦を引っ張らなければ、朝鮮半島は統一されていた可能性が高い。そうなれば朝鮮半島の戦後の歴史は完全に異なっていたものになるだろう。
朝鮮戦争の後、毛沢東が独裁者的となり、また、米国の長期にわたる中国封じ込めにつながり、中国経済の発展が遅れた。こうしたことを勘案すると、長い目で見て毛沢東の指導が中国のためになったかは疑問が残る。
しかし、毛沢東が戦後のアジアの歴史を変えたということだけははっきり理解できる。