『韓国併合 大韓帝国の成立から崩壊まで』(森 万佑子著、中公新書、2022年8月25日発行)

朝鮮王朝 1392年李成桂が建国、1897年に大韓帝国になる。明が政治制度のモデル。

最後の第26代高宗は11歳で即位。大院君(高宗の父)が取り仕切る。1868年以降の日本の明治維新政府樹立の書契を受け取り拒否など、排外政策堅持。

高宗新政は1873年から、日韓関係修復の試み、1876年日本は武力で日韓修好条約を締結。

1884年12月甲申政変失敗。清の干渉を招く。

1894年日清戦争。1894年2月朝鮮半島南西部で農民反乱。朝鮮政府は清に派兵を要請。日本も派兵する。日本は1894年7月朝鮮進出を目論み日清戦争開戦を決断。

甲午改革1894年7月~1896年2月。1894年7月23日日本軍による朝鮮王宮占拠。1895年4月下関条約で清と朝鮮との宗属関係廃棄を条約文に盛り込む。1895年6月井上公使は甲午改革から手を引き帰国する。後任の三浦梧楼公使らによる閔妃殺害事件。1896年2月11日高宗の露館播遷で甲午改革終了。

1897年10月高宗は皇帝に即位する。大韓帝国成立。高宗はロシアを頼りにする。数年で揺らぐ。高宗が招いた財政難が原因。

1900年6月義和団蜂起で、ロシアが満州を占領する。日本は朝鮮進出を考える。1902年日英同盟でロシアと対決姿勢を取る。1903年日本はロシアと満州撤退交渉。日ロ交渉は進まず。1904年1月日露戦争決断。2月4日ロシアへの軍事行動開始。第一期計画で大韓帝国を軍事占領。1904年2月23日第一次日韓議定書。

日露戦争勝利、1905年11月17日第二次日韓協約で、日本が大韓帝国の外交権を取得する。保護国化。伊藤博文が統監となる。

高宗の抵抗があり強制譲位させる。1907年7月第三次日韓協約で内政権を掌握。1909年伊藤博文は統監を辞任する。10月26日ハルビンで暗殺される。

1910年第3代統監寺内正毅のもとで韓国併合が進む。1910年8月22日勧告併合条約を締結。