『JFK CIAとベトナム戦争、そしてケネディ暗殺』(レロイ・フレッチャー・プラウディ著、和田一郎訳、文芸社、2013年12月15日)

戦争をビジネスにする人達が戦争をつくり出す。彼らが、第2次世界大戦の終わる前にすでに、冷戦の構図を作り、1945年に朝鮮戦争ベトナム戦争につながる東西対決を企画した。

この本を読むとベトナム戦争の本質がかなりよく理解できます。ヘリコプターがまったく非効率な兵器であることを説明するくだりも個人的には面白かった。

ケネディは、1963年の末までにベトナムから千人の軍人を帰還させ、再選されたら、ベトナム戦争から撤退することを決めていた、ということ。こうした、戦争の縮小方針が、CIA、金融界、などとの対決となり暗殺されたという結論です。

ケネディ暗殺後数日でその方針は転換されて、ベトナムへの関与が深まったのです。しかし、いま、それはケネディの責任とされるようになっています。現在まで続く米国の戦争輸出をみると、本書の指摘はあたっているように想います。

Wikipediaベトナム戦争の記事と昨日読んだ『JFK CIAとベトナム戦争、そしてケネディ暗殺』(レロイ・フレッチャー・プラウディ著、和田一郎訳、文芸社、2013年12月15日)は、書いてあることが180度といって良いくらい違っている。たとえば、JFKでは、米軍が日本への本土上陸に備えて沖縄に運んだ50万人の軍隊向けの半分をホーチミンに渡したとある。Wikipediaでは、「(ベトミン)の武器は中華人民共和国から提供されたが、多くは日本軍のもので38式小銃などが多かった。中国軍の武器は自動小銃だった。」とある。もっとも、日本の敗戦でハノイに最初に入ったのは、蒋介石の国民党軍らしいので、この自動小銃は米国製だろう。結局、第一次インドシナ戦争は、フランス側もベトミン側も米国製の武器で戦ったことになる。Wikipediaの(ベトミン)の武器は「中華人民共和国」から提供されたは間違いじゃないだろうか。中華人民共和国は1949年建国だが、第一次インドシナ戦争の前半は1949年まで。この部分はWikipediaが間違っていると思う。JFKホーチミンに渡したもたぶん不正確で、結果的にホーチミンに渡ったのだろう。

上記のJFK書は、ケネディが、ベトナムからの撤退を実行しようとして(もっと広く言えば産軍複合体との利害衝突)暗殺されたという主張なのですが、Wikipediaではケネディ政権はベトナムへの派兵拡大を押し進めたという主張です。Wikiでは「ベトナムから軍事顧問団を引き上げる」という計画はなかったというキッシンジャーの主張を紹介しています。このあたりは真っ向反対です。また、1963年11月2日に発生したクーデターの話は、JFK書では、ケネディはジェム大統領を国外に出す計画で飛行機を用意したが、ジェム大統領は自分で飛行機に乗らなかったなど。いたるところ、JFK書とWikiの記述は真っ向対立です。Wikiはいろんな書籍を基にしているようで、今の大勢の意見は、Wikiに近いようです。しかし、JFK書の記述は信頼度がかなり高いという印象を受けます。

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