『パリ物語』(宝木 範義著、新潮選書、1984年7月30日発行)

パリが現在の街並みになってきたころの様子を30トピックに渡って描写する。もともと『日本美術工芸』誌に1981年6月号から1983年12月号にかけて連載された記事を1冊にまとめた書である。

パリの街が形を整えたのは17世紀から19世紀のようだ。17世紀にルイ4世がローマを凌ぐ街作りを目指した。その師匠はイタリアである。1648年6月フランスの美術アカデミーが、1666年にローマ賞ができてフランス美術の屋台骨を支える芸術家を輩出した。

セーヌ川シテ島。旧名ルテチア。ユリアヌス帝のころパリジと呼ばれる。12-13世紀20万人。17世紀なかばに35万人。ノートル・ダム大聖堂はルイ7世の1163年起工。14世紀半ばに工事完了。18世紀の混乱で壊される。19世紀に修復。ルーブルの起源は1190年。1793年に美術館となる。広場では1612年のヴォージュ広場が初期、ルネサンス風。コンコルド広場18世紀。城壁と門。パリ植物園とブーローニュの森はナポレオン3世の計画による。パリのコーヒーは1706年にジャワからアムステルダムへもたらされ、その後1714年にアムステルダム市長からルイ14世に送られてパリ植物園に植えられたものが発祥。そこからフランス領の植民地へ移植。

近大パリはナポレオン3世時代に計画。オースマン男爵のパリ改造。道路計画が重要。オペラ座通り。グラン・プールヴァール、乗合馬車、広告塔、キャフェ。ロートレックの晩さん。グラン・マガザン=百貨店、オ・ボン・マルシェ、オ・プランタンなど。駅は、鉄道、メトロ。鉄の時代:塔と橋。街灯。

19世紀後半、万国博覧会の時代。1855年パリ万博はロンドン1851年の影響で始まる。1867年パリ万博博覧会に徳川昭武一行が参加、日本館。ジャーナリズム1836年創刊のラ・プレスは最盛期7万部。サロン展覧会。写真の登場、ナダールが写真家の草分け。風刺画。シェレ=ポスター。19世紀末の画商。1895年11月~12月のヴォラールによるセザンヌ展。ゴッホ回顧展、ゴーギャンと契約。椅子、貞奴=日本趣味。