『日銀漂流 試練と苦悩の四半世紀』(西野智彦著、岩波書店、2020年11月26日発行)

第1章松下時代 1996~1998年

1997年6月11日成立。「憲法第65条 行政権は、内閣に属する。」と日銀の独立性をめぐる闘争部分が一番面白い。1997年10月末から頭の三洋証券会社更生法コール市場でのデフォルト、北海道拓殖銀行の破綻、山一破綻と続き、各地で起きた取り付けによる資金不足危機の回避の箇所は何度(いろんな本で)読んでも背筋が凍る。

第2章速水時代 1998~2003年

1999年2月12日コールレート0.15%。1か月後ゼロ金利へ。しかし、速水総裁の執念で、8月11日コールレートの誘導目標を0.25%にする決定。米国ITバブル破裂で、日本で株価の下落が続く。速水批判強まる。量的緩和という逃げの手。小泉・竹中金融再生スキームへ。

第3章福井時代 2003~2008年

2003年りそな救済で日銀特融量的緩和の大拡大開始。04年1~3月の大介入(財務省)と緩和で協調する。2004年金余りでM&Aラッシュ。内外金利差で円安になる。公開市場操作オペの短期化で緩和解除へ。コールレート0.5%まで上げる。個人の株投資問題で弁明に追われる。

第4章白川時代 2008~2013年

大変な時代であった。2008年から2009年のサブプライム危機とリーマンショック民主党政権、2011年東日本大震災。白川総裁は少しばかり原理主義すぎたのではないか? リフレ派の勢力が伸びる。安倍の第2次政権が始まり、日銀による物価目標2%を掲げる。

第4章黒田時代 2012年~

日銀の責任で2年でインフレ率2%を達成。リフレ派岩田副総裁。黒田バズーカ、バズーカⅡは、円安と株価上昇には効いたが物価上昇は不発で6回先送り。マイナス金利金利のフラット化が起き運用が困難に。金融機関が構造不況業種となる。不満がたまる。2016年9月異次元緩和の検証。量から金利へ。イールドカーブコントロールを導入。再選で2%の達成時期を削除する。