『沖縄返還とは何だったのか』(我部 政明著、NHKブックス、2000年6月30日)

 

沖縄返還交渉の過程と、交渉内容、密約などについてまとめた本である。

占領下の日本で総選挙を実施するため、連合国最高司令官の名で1946年1月29日にhン政府の権限の及ぶ範囲に関する覚書が出された。それによって、満州などの旧植民地とともに北緯30度以南の琉球列島が日本の政治・行政の管轄範囲から除外された(沖縄の米軍政の始まり)。その後サンフランシスコ講和条約で、沖縄には日本の主権が及ぶが 米国が施政権を行使する。沖縄返還とは施政権=行政・司法・立法の権限が返還されること。

1961年から1964年ケネディ政権の日米強調路線が進行したが、当時のキャラウェイ高等弁務官パターナリズムをとったため沖縄に不満が溜まった。1960年代後半に米政府内で沖縄問題の検討があり、1967年11月の佐藤首相訪米を機に沖縄の施政権返還問題が検討された。

1969年1月ニクソン大統領となり、国家安全保障会議は1月25日に対日政策と沖縄返還について検討を命じたNSSM-5を決定した。4月28日研究報告が出され、5月28日NSDM-13を作成した。ここで沖縄返還交渉についての基本方針を決める。NSDM-13は具体的な戦略文書の作成を指示、ジョンソン国務次官から報告された戦略文書は7月3日に承認される。対日交渉目標を記した付属文書がマイヤー駐日大使に送られる。1969年11月に予定されていた佐藤・ニクソン会談の共同声明の交渉・準備が行われた。

第3章は米国の交渉戦略を新発掘文書で明らかにする。

第4章は日米交渉の過程をまとめる。

第5章佐藤・ニクソン共同声明。核再持ち込み権は佐藤ーニクソンの密約とされた。

第6章は補償費用の交渉について。沖縄返還に際して、補償費の日米の食い違いが大きい。1969年12月2日付けのジューリック・柏木の了解覚書。金額は1971年6月17日に調印された沖縄返還協定と金額に大きな差がある。

本書は文章の論理展開が飛んでいる箇所があって読みずらい部分もあるが、沖縄返還交渉の論点を次のように理解できる。

・米軍による基地の最大限の自由使用を確保する。日本の要求は本土並み。

事前協議制。事前協議の対象、有事の定義、運用法がない。米軍の自衛権

・核に関する扱い。撤去するが航空機・艦艇の通過権。緊急時の再持ち込み権の確保。核抜きは駆け引き材料とされる。

財政問題。沖縄で流通していた米ドルを日本円に交換した結果のドルの扱い。沖縄にある米国資産を日本に譲る代償。核兵器撤去費用など。補償金の金額の日米の評価の違い、支払い方法。米人事業への特別措置。