『世界大恐慌 1929年に何が起こったか』(秋元 英一著、講談社学術文庫、2009年2月10日発行)

1920年代大衆資本主義。T型フォード。自動車販売台数は1929年にピーク。電化製品の普及。株式ブーム。マイホームは年収の3倍。分割払い・販売金融会社。債務が増えた。1928年から金融引き締め。住宅建築が勢いを失い、建築産業の被雇用者数は1927年160万人でピークを付け、減少を始める。(1933年には81万人に減少)。耐久消費財の購入が減速。景気が底を打った1929年で金融引き締めを行った。

永遠の繁栄は続かず、1929年10月24日暗黒の木曜日から株価急落、絶頂から奈落へ。4年に及ぶ世界恐慌となる。

金本位制は国内の通貨量は金の総量に連動して増減する。貿易収支が赤字になると金で決済するので金が減る。金の流出で通貨の流通量が減り、物価が下がる。調整デフレ。貿易黒字で金が流入し、通貨量が増えて調整インフレになる。

第一次大戦金本位制が停止。1919年米国は金本位制に復帰。1924独、25年英、26年仏が復帰。以前は英国が最後の貸し手だったが、戦後は立場がなくなる。戦後は米国資本が欧州に投じられたが、株式市場の急騰でFRB公定歩合引き上げで、欧州への投資資金は停止して、欧州から米国へ資金が流れ込む。不況で英国は金本位制離脱。農業の供給余力が大きくなり、世界農業問題の深刻化。アメリカの農業所得の停滞。

1929年からの第31代フーバー政権は保守的な経済政策で恐慌は深化。1930年スム―ト⁼ホーレイ関税法で関税率39%から59%にアップ、報復関税で保護主義に傾斜した。

1933年ローズベルトがリフレーション政策で景気回復への足掛かり。1936年消極策に転じ、1937~38年恐慌となる。その後、ケインズ政策が採用された。

日本

1927年3~5月蔵相の失言で昭和金融恐慌が発生。農村は米と繭の苦難。米価は1930年に1926年の半分、繭価は1/3となる。1930年井上準之助蔵相による金解禁は旧平価によるもので、通貨切り上げによる需要の収縮は、財政支出削減などと共鳴して、物価デフレーションを起こした。1931年犬養内閣、高橋是清蔵相は金輸出禁止、円と金の兌換停止、赤字国債、低金利政策を実施。結果、40%の円切り下げとなる。1936年予算編成で公債漸減・軍事費縮小を方針で2.26事件に倒れる。