本書は今から45年ほどまえの1976年に最初に出版された。マハンの『海上権力史論』に基づきながら、批判的にイギリスのシーパワーの変遷を解説する本である。ようやく日本語版の登場ということになる。2017年の新版への前書きで21世紀の初頭の動向が追加されている。21世紀への変わり目はいうまでもなく中国とアジアが国際舞台の中心になっている。ヨーロッパがシーパワーを意にかけていないのに、アジア諸国が海軍に投資しているのは世界史の中で特筆に値するという。特に中国海軍の拡張は目覚ましい。
イギリスの海上覇権の盛衰は400年に及ぶが1945年に完結した。イギリスは戦いに次ぐ戦いで18世紀に圧倒的な世界帝国となる。1715年~1914年の200年が際立っている。
イギリスのシーパワーの黎明期は1603年まで。15世紀ヨーロッパ興隆の一つの要因は外洋船の発達と海軍の軍備にあった。スペイン、ポルトガルから始まり、オランダ、フランス、イングランドが加わる。イングランドは大陸と海を隔てていたという地理的な優位があり、海軍を発展させやすかった。また、良港、漁場、鉄鉱石、木材など資源に恵まれた。また冒険商人による海外への拡大意欲があった。イングランド政府(王室)による海軍の重要性の認識。宗教改革運動。ヘンリー7世(在位1485-1509)時代に王室造船所ができ、軍艦を建造開始。ヘンリー8世(在位1509-47)が王室海軍を創造した。エリザベス1世 (在位1558-1603)とドレイクらの提督の時代のスペインとの戦い:英西戦争(1585-1603)、アルマダの海戦1588年。
グローバルな交易と植民地支配を広げる。ジェームス1世(在位1603-25)の時代は海軍に関心を持たれなかった。海軍力の腐敗。しかし、ピルグリム・ファーザーズ(1620年)、マサチューセッツ湾会社(1626-29年)による米・入植地が始まる。東インド会社の商館があちこちにできる(1611-1639年)。貿易の拡大と入植地の増加。チャールズ1世 (在位1625-49)イングランド大内乱で議会は艦隊の待遇改善と規模の拡大を約束し、艦隊は議会側につく。海軍が国家政策の重要な担い手とみなされ、シーパワーの再構築となる。1651年の航海法でイングランドと入植地の貿易をイングランドの船に限った。クロムウェルの時代、第一次英蘭戦争(1652-54年)で海戦5回。スペインとの戦争(1655-60年)。王政復古・チャールズ2世(在位1660-85)。第二次英蘭戦争(1666-67年)で海戦7回、フランスがオランダに味方する。第三次英蘭戦争(1672-74年)では英仏が連携。王政復古後の時代は英国の貿易が急拡大。1688年名誉革命で東インド会社を残して他の独占的な貿易会社は終わる。英国海軍は国家の軍事力となる。
1689-1756年フランスとスペインに対する戦い。1689年英仏戦争始まる(1815年まで続く長い戦争)。ルイ14世による1689-1697年の戦い。1713年までにフランスの商船隊も、フランス海軍もイギリスに挑戦する力を失った。
7年戦争(1756-63年)は最初の世界大戦。再興されたフランス艦隊、米国でインディアン・フランス同盟との戦い、フランスとオーストリアの同盟。イギリスとプロイセンの同盟でフリードリッヒ大王が良く戦う。ケベック獲得。1763年パリ条約。アメリカ独立戦争(1776-83年)ではイギリスは大陸に同盟国がなく敗北する。1789年フランス革命。
1793年-1815年フランスとの闘争再び。革命フランスとナポレオンとの戦い。1805年10月21日トラファルガーの海戦で、ネルソンがフランス・スペイン連合艦隊に対して決定的勝利を得る。英仏の制海権をめぐる戦いは海外拠点と植民地をめぐる戦いでもあった。1812年ナポレオンはロシアで敗れる。
1815年から1885年はパクス・ブリタニカと呼ばれる。1845年のイギリス軍艦の配備は、本国35、地中海31、西インド諸島10、西アフリカ27、インドと中国25、ケープ10、南アメリカ14、太平洋12であった。