ローマ帝国は、紀元前27年から476年まで続いたが、その歴史は、大きく前期と後期に分けられる。
ローマは紀元前753年に都市国家として建国。前509年から前27年まで共和制。前272年イタリア半島を統一。カルタゴとのポエニ戦争を経て、地中海全域に支配を広げる。内乱100年(マリウス、スラ、ポンペイウス、カエサル、アントニウスとオクタウィアヌスなどが武力で争う)。オクタウィアヌス(カエサルの養子)が内乱を勝ち抜いた。オクタウィアヌスは、前31年にアントニウスとクレオパトラ連合軍を破りエジプトを占領、ローマに帰還し、前27年元老院よりアウグストゥスの称号を得て、独裁者となる。
アウグストゥスの王朝=ユリウス・クラウディアウス朝。
235年に軍人皇帝時代へ。ササン朝ペルシャ、ライン・ドナウ川方面からはゴート人やアラマンニ人、フランク人などゲルマン民族の攻撃を受けて皇帝の地位が不安定化。半世紀に26人の皇帝。
284年のディオクレティアヌス帝が混乱を収める。ここから後期ローマ帝国に分類される。395年に東西分裂。476年に西ローマ帝国が滅亡。東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国に滅ぼされた。
共和制時代は市民兵。財産で5階級に分類し、階級毎の武装を定めるセルティウス制度。前6世紀に成立。兵士は職業軍人化、軍団は常備軍化した。カエサル『ガリア戦記』には常備軍化した軍隊が描かれている。
アウグストゥスが兵・民の分離と常備軍化を確立した。200年のローマの平和を支える。属州と辺境に配備された軍団と補助軍。本国では近衛隊。領土拡大戦争が多く攻撃的な帝国。166~167年のマルコマンに戦争で転回点。ゴート人の移動で6000人のランゴバルト人とオビイ人が玉突きでドナウを超えてパンノニアに侵入。北イタリアまで。対応のため、マルクス帝が能力主義を持ち込む。
ゴート人が侵入を開始、規模が大きくなる。機動軍(騎兵部隊)の創設、能力主義の徹底。
376年フン人が現れてゴート人を攻撃。ゴート人がローマ帝国に入る。西ローマ帝国の滅亡に繋がるゲルマン民族の大移動が始まる。