『ナポレオン戦争 十八世紀の危機から世界大戦へ』(マイク・ラポート著、白水社、2020年7月5日発行)

ナポレオン戦争という書名にも関わらず、ナポレオン自身のことにはあまり触れられていない。ナポレオンが如何に戦ったかもあまりない。

イギリス、フランス、プロイセン王国オーストリア、ロシアの5大国の対立。神聖ローマ帝国は365のドイツの主要な領邦で構成される連合体でオーストリアが影響力を行使していた。18世紀からロシアの台頭。その他の周辺国。バランスオフパワーの考え。

1775-1783年アメリカ独立戦争

1792年から1802年フランス革命戦争。ヨーロッパの国々が戦争に飲み込まれる。

1803年から1815年のナポレオン戦争

本書は、1792年から1815年の戦争をフランス戦争とし、その当時のヨーロッパ各国の戦争事情、および若干の植民地事情に触れているのみ。18世紀政治システムの崩壊。

フランスは18世紀では大陸最強の国だったが、覇権を求めてイギリスと何度も戦った。陸軍国であるフランスはイギリスに勝てず。オーストリアと対立。王家国庫が底をつき、フランスは破産寸前となる。1789年フランス革命絶対王政が崩壊した。

プロイセンのヴィルヘルムⅡ世とオーストリアのレオポルド皇帝が同盟し、1791年8月フランス革命に干渉するピルニッツ宣言を出す。

1792年4月ルイ16世が議会にオーストリアへの宣戦布告を要求、開戦宣言。こうしてフランス戦争が始まる。ボナパルトの1799年権力掌握に帰結する。第一次対仏大同盟、1977年10月崩壊。

1978年夏再び戦争開始、ボナパルトのエジプト侵攻で、ロシアとオスマン帝国が第二次対仏大同盟戦争に巻き込まれる。1978年11月9-10日ボナパルトがブリューメルのクーデタを指導して総裁政府を倒し第一統領となる。フランス優位で1802年アミアンで講和。

ナポレオンは1803年ルイジアナアメリカ合衆国に破格の安値で売却。1803年5月イギリスが宣戦布告。第三次~第五次対仏大同盟。1805年10月スランスとスペインの艦隊はトラファルガ岬の海戦でネルソン麾下のイギリス艦隊に撃破される。1806年ナポレオンの大陸封鎖。1812年6月ロシア侵攻。10月フランス撤退。ナポレオン軍は東方で壊滅。1913年3日間の諸国民の戦い。1814年4月ナポレオン退位。エルバ島へ追放。1815年2月ナポレオンはフランスに戻り3月パリに到着。1815年6月18日ワーテルローの戦いで大同盟の決定的勝利。ナポレオンはセントヘレナ島へ流される。

総力戦。戦争の方法の進化。人員、資金、補給。1793年の国民総動員令。

海戦。

人民戦争。