『平成不況の本質』(大瀧雅之著、岩波新書、2011年12月発行)

マクロ経済学者的な論である。この間読んだ、『平成金融史』で、如何に銀行が守られているかを見たら、この金融批判論にもかなり同意できる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

グローバリゼーションとはアメリカの金融・農業・製造業の貿易自由化を核とした世界戦略の総称!

反社会的とは、万能型個人を想定し、個人がネットワークなしに生活できると考えること。

公正性とは経済社会の成員のうちどれほど多くが留保賃金を上まわる所得を獲得して、ゆとりのある生活ができているか。

繁栄の80年代と停滞の90年代に関係する、つまり、バブル崩壊で影響を受けたのは金融と不動産業のみである。

失業率は趨勢的に上昇している。特に構造改革期に大きく上昇した。このとき企業所得が増えたが雇用者所得は減少した。

経済成長は雇用者間の不平等を起こしている可能性が大きい。

年単位でのGDP推計は必要だが、それ以上の頻度は不要である。

不況とは賃金低下や失業増加。日本企業では埋没費用が大きい=企業間転職の壁が高い。日本経済は名目賃金低下による悪循環。

デフレはインフレ率がマイナスになること。ディスインフレはインフレ率が下がること。この10年間(2000~2010年)はディスインフレであって、デフレではない。

インフレが起きないと困る階層が日本の中に大きく存在している=インフレ期待論が生まれる原因。インフレとは税である。

90年代はひたすら金融機関にとって失われた10年であり、他の産業は実績を残した。

金融機関はバブル期年平均13.3兆円の利益、失われた10年では年額10.7兆円の赤字、構造改革期年額3兆円の赤字。

90年代は株や土地の評価損益を除くと雇用者・企業所得は増えた。

 金融機関の整理淘汰が進んでいないのは行政の責任である。

金融業者の言うマーケットは経済学のマーケットではない。金融関係者のインサイダーに過ぎない。

 インフレ率と労働生産性は相関関係あり。

リフレ論は貨幣が倍になれば物価が倍になるという貨幣数量説である。ナンセンス。貨幣とは信頼性と考えるとリフレ論は成り立たない。貨幣が単なる交換のための紙切れとなると起きる。

 長期不況の第1の原因は、金融危機の発生と、金融機関への保護にある。

第2の問題は対外直接投資である。株主主義は経済理論上異論の余地がある。

一時的大株主は企業の長期的パーフォーマンスに興味は無い。

対外投資は日本の労働者の交渉力をそいでいる。

経営資源は資本に帰結するという考えは正しいか? 企業固有の資源の持ち主が企業の保有者である。人的資本のqを考える。

派遣法の緩和は株主主権論であり、企業組織の自己融解である。

銀行はリスクのある貸し付けとリスクのない貯蓄を、情報生産力によって結び付ける。しかし、日本の銀行にはそんな能力はなかった。スコアリングでは審査できない。

市場型間接金融は銀行が投資信託を売ることであり、マクロな変動(リーマンショックなど)に対して危険である。

デリバティブゼロサムゲームである。

郵政の民営化は組織を複雑にしただけ。

構造改革は国家的意味での共有物の私有化である。

既得権益にまみれた大人が産業政策を作るのは危険である。

『平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで』