『リバタリアンが社会実験してみた町の話』(マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング著、原書房、2022年3月1日)

ニューハンプシャー州の田舎町であるグラフトンに、2004年にリバタリアンフリータウンを作った。

ニューハンプシャー州は、「自由な生か、もしくは死」という自由をモットーとする傾向がある。その中でもグラフトンは規制に反対し、税金を少なくしようとする傾向があったのでフリータウンには向いていると考えられた。グラフトンは税金を減らしたため、町のインフラを維持できず、町のインフラが荒廃し、住民サービスはお粗末である。火事があっても自分の町の消防では消すことができず、隣町の支援がないと対応できない、図書館は1週間に1日3時間しか開けないなど。でも住民は税金の負担に反対し、納税を拒否する。

フリータウン以前には、統一教会が研修のためのキャンプを設置していたが、既に閉鎖していた。登場人物の一人は統一教会の管理人だった女性である。

フリータウンに移住してきたリバタリアンとグラフトンの住民では意見があわず対立が多かったようだ。リバタリアンは、グラフトンの住民よりもさらに過激な政治的意見をもち、税金を払おうとしない。中には喧嘩を吹っかけて録画してそれをネタに生活する人もいるなど相当な無政府状態である。

グラフトンは森が多く熊が多い。熊は普段は人に害を与えることは少ないが、干ばつにより森に食料がなくなると人家に来て、鳥の餌をあさり、犬や猫を襲って食べることがある。中には熊を恐れず、熊に餌をあたえるドーナツレディという女性も登場する。

税金を減らし、自治体のサービスを縮小すれば、負担が減るのでそれを好んで人口が流入して増えそうなものだが、グラフトンの例を見ると実際はそうならない。グラフトンはじり貧である。グラフトンの隣町のカナンはある程度の税金を負担することで、社会的なサービスを維持して、住んでいる人が幸せになることで人口が増えた。

1700年代末、それぞれ人口数百人の隣り合う入植地であったとき、カナンは訓練中の市民軍に食べさせるための公費を支出したが、グラフトンは拒絶した。当時はグラフトンの税率は1000ポンドの不動産に2ポンド、カナンは同2ポンド3シリング。1850年グラフトンの人口は1259人、カナンは1682人。2010年グラフトンの人口は1340人、カナンは3909人である。2010年の税率はグラフトンでは評価額1000ドルにつき4.49ドル、カナンは6.20ドルである。カナンの方が税率が高く公共インフラが充実している。グラフトンは税を拒否することで、公共インフラが貧者で火事を消す消防署は署員一人しかいない。警察署はなく歴代の警察署長は自宅で仕事をする。(pp.133~137)

税金が嫌いな町、過激なリバタリアン、熊、熊に対する自然保護派の主張、狩猟規制、自警団による違法な熊狩りといった話題が入り乱れてあまりすっきりしていない。

フリータウンプロジェクトはなくなってしまったようだが、これは中心人物が亡くなったためなのか、あるいはフリータウンからフリーステートに昇格したためなのか、よくわからない。

なんにしても、アメリカ社会では人々の考え方、生活の仕方、などが恐ろしく多様である。鉄砲を持ち歩くのは序の口で、熊に餌をやる人から、熊に恐怖する人、熊に向かって発砲したりなど。また全体として荒々しい。アメリカ社会のルポや調査ものを読むとアメリカの荒々しさは、植民地時代からの時間が日本より短いことが原因のような気もする。言ってみれば日本の戦国時代並みだろうか。