『タリバン台頭 —混迷のアフガニスタン現代史』(青木健太著、岩波新書、2022年3月18日発行)

アフガニスタンは文明の十字路。中東、南西アジア中央アジアの結節点として周囲の勢力のせめぎあいの場所。アメリカは中国の対立に軸足を移すなかで、アフガンから撤退。今後は中国の影響が大きくなる。ロシアもタリバンの後見人となるか。

アフガニスタンでは、2021年8月15日カブールの大統領府を攻略、タリバンが2度目の政権奪取した。本書はタリバン出現に至る背景から、タリバンの統治の見通しなどまでを概括している。

歴史

イスラーム共和国 2021年8月15日、ガリー大統領の逃亡で崩壊。

2021年バイデン政権の一方的完全撤退。

オバマ政権の出口戦略、2013年6月18日ドーハにタリバンカタール政治事務所開設。米国との交渉進む。トランプ政権のドーハ合意(2020年2月29日)はアメリカとタリバン代表者の契約。

イスラーム共和国 2004年10月大統領選挙で正式に成立。タリバンは体制外勢力となり、反政府武装抵抗活動を続ける。パキスタンタリバンを支援。

2001年11月反タリバン北部同盟がカブールを制圧、タリバンパキスタンに逃れる。ボン合意によりカルザイ暫定政権が成立。

2001年9月11日アメリ同時多発テロブッシュ政権アメリカはアルカイダ指導者引き渡しを要求したが、タリバン政権が応じない為、10月17日アフガン空爆開始。

タリバン政権時代 1996年9月27日タリバンアフガニスタンイスラーム国家樹立を宣言する。第一期政権は2001年まで。

1994年ムッラー・ウマルによる世直しタリバンが登場する。

1992年4月28日ムジャヒディーン各派がペシャワール合意で連立政権を設立。しかし内戦状態となる。

1979年12月ソ連軍の侵攻。アフガン各地で武装抵抗運動が始まる。1989年12月ソ連軍撤退。

1978年4月27日共産主義政党である人民民主党による軍事クーデターでアフガニスタン民主共和国成立。土地改革、女性解放。アフガニスタン農村部の伝統と相いれず反発を招く。政権側はイスラム教徒の粛清を行う。

1970年代からアフガン混迷へ。1973年ザーヒル国王の従兄弟ダ―ウードによる無血クーデター。アフガニスタン共和国成立。イスラム主義者、共産主義者を弾圧。

アフガン社会

アフガンは部族統治。部族慣習法:パシュトーン・ワリー(パシュトーン人の道徳と慣習)は勇気、復讐、集会、女性の尊厳(ナームース)などの規範。

第一期タリバンの統治方針は治安回復などを公にしていたが、苛烈な部分があった。

パキスタンによるタリバン支援とその他の国による北部同盟支援など代理戦争。

アフガンは多民族国家。アーリア系のパシュトーン人が40%。

1919年アマーヌッラー国王は欧米諸国に倣う、世俗化と近代化を図る。しかし反発されて、1929年失脚する。

イギリス軍は第一次(1839~1842)、第二次(1878~1881)、第三次(1919)までアフガン戦争を戦う。アフガン諸部族は異教徒とのジハードとしてイギリスと戦う。

アブドゥルラフマーン国王(1880~1901在位)による武力統一。

1747年ドゥラーニー朝成立。カーブルの王国として地方部族との緩やかな主従関係を結ぶ。