『破綻の戦略 私のアフガニスタン現代史』(髙橋 博史著、白水社、2021年12月発行)

アフガニスタンの紛争について、主に1970年代から2001年頃までの状況である。

最初は、1978年4月のダウード大統領政権に対する軍事クーデター。人民民主党が政権を取る。1979年12月27日ソ連がアフガンに軍事介入。その前からソ連介入を避けようと努力して処刑されたアクラム青年とマジッド・カルカニーの物語。

ムジャヒディーン(イスラム聖戦士たち)がソ連と戦い、1988年4月ジュネーブ協定でソ連撤退が決まる。ソ連は89年2月完全撤退。しかし、ムジャヒディーンは人民民主党アフガン政権を倒せない。イスラムのハーナカーという修行道場の老師は紛争は終わらないと予言する。アフマッド・シャー・マスード司令官はソ連と戦って英雄となる。

1992年1月米ソはアフガンへの武器供与停止の協定を結ぶ。4月に人民民主党政権の崩壊。ムジャヒディーンの合同政権ができるが、権力闘争が始まる。カーブル市内はムジャヒディーン各派の陣取り合戦場となる。ムジャヒディーンの各司令官は米国やサウジからどれだけの援助が得られるかにしか関心がない。老師は紛争は紛争は神の怒りだという。人民民主党政権や権力争奪に明け暮れるムジャヒディーンが、イスラム宗教界、アフガンの社会システムを壊してしまったのだ。そのため精神の安寧と未来への希望が失われてしまう。

1994年11月イスラム神学生集団タリバーンの蜂起が始まる。カンダハールをたちまちに制圧する。ムッラー・ウマルが最高指導者、伝説の人となる。しかし、ムッラー・ウマルの蜂起が成功したのは偶然だった。タリバーンは犯罪防止のため規則を厳格に運用し、銃器の取り締まり、処刑と残虐なビデオを流して治安の回復に成功する。

アフガン社会におけるノムースを理解することが非常に重要。ノムースとは名誉、誇りの概念で、彼らには死をかけて守るべき価値観である。ベ・ノムースは誇りを有していないこと。女性家族に言及する、女性を話題にするのは、ノムースを穢したことになる。

1996年9月タリバーンはカブールを陥落させる。1996年タリバーンは勢いにのってマスード司令官を追うが、パンジシェール渓谷で大敗北を喫する。

2001年9月9日マスード司令官がテロで暗殺される。反タリバンを結集して連合戦線として戦っていた。ウズベクスタン・イスラーム運動の指導者ジュマボーイ・ナマンガ―が「半年から10カ月で世の中に大変動が起きて、アフガニスタンタリバンに支配され、中央アジアにも変動が起きる」などと語った。9月9日は9.11事件につながる。

9.11後の米国の攻撃でタリバン政権は崩壊する。ウサマ・ビン・ラディーンに騙されたというムッラー・ウマルの悔恨の演説がある。

ソ連のアフガンへの国益は何なのか?