『明智光秀 正統を護った武将』(井尻 千男著、海竜社、2010年6月2日発行)

信長をニヒリストとして位置づける。正親町天皇に退位を迫りつつ、新しい幕府を開こうとしない信長のやっていることを見ると、安土に城を築いたのちは都を移して専制独裁統治を企んでいたということになり、これは保守主義者である光秀らにとっては看過できない事態になったという説である。

信長は安土に城を築き始めたときから京都を見捨てた。安土城を築き始めるのは天正4年、天主閣の着工が同5年である。それ以前、安土での支配の構想ができていた。天正3年11月には岐阜城家督を長男・信忠に譲った。

井尻説では、天正9年の馬揃えも退位しない正親町天皇に対する威嚇ということになる。信長の左大臣就任辞退は天皇の権威を貶める行為であり、武士としてあるまじきということだ。

歴史の中で自分の本当に大事なことは記録に残さないことが多いので、資料による実証を求める歴史学では真実に迫れない限界がある、という。確かに、そうかもしれない。

井尻説は成り立つ可能性はあると思うし、それなりに共感する点もある。しかし、一方、あまりにも想像による部分が多く、妄想として片づけることもできそうだ。ちょっと調べると、井尻説の前提である信長が正親町天皇になんども譲位を迫ったということ自体も歴史的に確かかどうか不明なようだ。

『ブラックホールとの遭遇』(W・サリバン著、ブルーバックス、1980年11月20日発行)

1844年、一番明るい恒星シリウスの軌道はふらついている。伴星があるのではないか?(ベッセル)19年後伴星が発見された。高密度の予想。1930年チャンドラセカールは恒星はどこまでもつぶれるという論文を出した。

1915-1916年シュヴァルツシルトアインシュタイン方程式を簡易的に解き、赤方偏移が無限大になる半径を示した。1939年オッペンハイマーらも恒星が収縮したあとのことを示した。

短い周期でパルスを出すX線星3つ。1971年ウルフの観測で、ケンタウルス座X-3のX線パルスの周期は4.8秒であるが小さく不規則に変化することが分かる。大きな主星の周りを小さなパルサーが回るモデルが提唱された。かに星雲パルサーは毎秒30回転する中性子星白鳥座X-1のX線は変化が激しい。X線変光星。一定の周期がないようだ。白鳥座X-1はブラックホールか否か。

さそり座X-1は強いX線源。普通の恒星と中性子星が相手の周りを回っているという説。

ヘルクルス座X-1のパルスの周期は1.24秒。41時間周期で変化する。

X線バースト。1971年ソ連のコスモスが初めて発見した。1979年初めごろまでに30個見つかる。

M87銀河の中心に巨大ブラックホールがあるという説。

本書が書かれたのは40年ほど前であり、はまだブラックホールが完全には発見されていない時代の本で、ブラックホールかもしれないというX線パルサーの観測の話などが中心になっている。

 

『5G 次世代移動通信規格の可能性』(森川博之著、岩波新書、2020年4月17日発行)

2019年4月3日米国のベライゾンと韓国のSKテレコム、KT、LGユープラスが5Gサービス開始。ただし韓国はミッドバンドで4Gの延長。その後、欧州・中国も開始。日本は2020年春から。

クアルコムスマホ向けチップセットの最大手)が5G規格策定でも中心的な役割を果たした。通信機器はエリクソンノキア、ファーウェイ。日本企業は部品に強み:LCフィルターの村田製作所積層セラミックコンデンサ村田製作所TDK太陽誘電、電源用パワー半導体ローム、窒化ガリウムバイス住友電工、高純度窒化アルミニウムのトクヤマは市場シェアの8割、通信計測器はアンリツ、米キーサイト・テクノロジー、独ロ―デ・シュワルツの3社、ガラスアンテナAGCNTTドコモの共同開発など。

第5世代(5G)は幅広い。まず、5Gの割り当て周波数は、ハイバンド:24Gヘルツ帯以上のミリ波、ミッドバンド:1~6Gヘルツ帯、ローバンド:1Gヘルツ帯以下。(4Gは3.5Gヘルツまで)。2019年4月に総務省が4社(NTTドコモKDDIソフトバンクモバイル楽天モバイル)に割り当てたのは3.7、4.5、28Gヘルツ帯。今後拡大する。

ハイバンドは直進性が強く、減衰も大きい。局所的な展開。2時間の映画を3秒でダウンロードはハイバンドを使ったとき。ミドルバンドは4Gに近いので経験を生かせる。ローバンドは電波が届きやすくカバー範囲を広げやすい。

多彩な技術:超高速大容量、超高信頼性・低遅延、大量端末接続(多数同時接続)。Massive MIMOアンテナ、エッジコンピューティング、コアネットワークの仮想化、無線アクセスネットワークの仮想化、ネットワークスライシング(一つのネットワークを仮想的な複数ネットワークに区切る)、ローカル5G(プライベート5G)、自営BWA(Broadband Wireless Access)=プライベートLTE=自己の建物内で自営網ができる、WiFi6(誰でも使える)の無線技術は5Gに近いのでWiFi6でスタートしローカル5G(許可制)に移行というプランあり。

第3章 モバイル興亡史に移動通信システムの1980年代第一世代からの歴史が簡単にまとまっている。そのページを読むと、その進化のスピードが怖い。人間が歳を重ねて経験することよりも遥かに速いので、若い人たちの体感をまったく理解できそうもない。

『感染症 広がり方と防ぎ方』(井上 栄著、中公新書、2020年4月25日増補版発行)

感染症対策には、病原体伝搬経路を知っておく必要がある。居住環境を清潔にすることで伝染病が減ったが、咳でうつる新型ウィルスと性交でうつるエイズウィルスは居住環境を整備しても伝搬を抑えられない。

2003年のSARSは中国広州市から香港へ来た患者がMホテル9階に泊まって、ホテルに泊まっていた他の客9人と9階の投宿者を訪問した若者1名に感染した。これはWHOの調査でホテルの床にウィルスの断片が発見された。香港九龍にある4つ星ホテルだが嘔吐した吐物が乾いてウィルスが舞い上がって感染したという仮説が出された。

香港アモイガーデンの水洗トイレの排水管経由で発生した埃でも300人が空気感染した。

SARSは、中国、香港、台湾を除いて、カナダ、シンガポールベトナムで多かった。この3国では院内感染が多かった。医療従事者が世界平均21%だったが、上の3国は40%を超えていた。日本では感染者が出なかった。これはなぜか。SARSは全身性で糞便で感染した可能性がある。手で握手しない、箸で食べ、手で食べない。土足なし、手洗いなどが原因か。

ウィルスは細胞ではなく、細胞である最近の1/10のサイズ。小さいウィルスほど丈夫。環境温度が高いほどウィルスは壊れやすい。日光があたると紫外線で壊れる。人間が咳・くしゃみをしたとき飛沫が出る。飛沫は直径10マイクロメートル超の水滴で患者の1メートル以内の床に落ちる。

ウィルス伝染病は居住環境の清潔化に伴って軽症化した。

ウィルスの感染経路は入り口、出口、媒体で考える。空気媒介だと水痘と麻疹。結核や麻疹はN95マスクが必要である。

ノロウィルスは嘔吐下痢症で糞便でも感染する。老人ホームで良く起きる。ノロウィルスは小腸粘膜の細胞でのみ増殖するが、免疫後の持続期間が短いので何度でも感染する。安定性が高いので下水処理場でも破壊されないで海へ行く。カキは1時間に20リットルの海水を取り込み、ウィルスが中腸腺に凝縮される。そのカキを生で食べると下痢が発生する。カキは人があまり住んでいない産地のものが安全である。

細菌は人体のみではなく、体外でも栄養分のあるところで増殖する。食品は細菌の培地。

新型ウィルス:

①米国に定着した西ナイルウィルス。蚊⇒鳥⇒蚊のウィルス増殖サイクル。人にも感染する。米国で2006年4269人、死者177人。

②野生動物から人にうつり、その後人から人へ。(新型コロナウィルス)

特殊病原体ブリオン:BSE牛海綿状脳症

新型インフルエンザ:インフルエンザウィルスの遺伝子はRNAで変異が起きやすい。ウィルス粒子外側の蛋白質は2種類ありヘマグリチニンHとノイラミニダーゼNである。Hは16種、Nは9種ある。野生のカモはすべて持つが病気にならない。

1918年のスペイン風邪は、世界で2000~4000万人が死んだ。ウィルスH1N1は全身感染ではなかったは肺胞で増殖していた。通常のインフルエンザウィルスは肺胞では増殖しない。肺胞で増殖すると溺れたのと同じになる。基本再生産数は2.9と計算された。1957年のアジア風邪H2N2は1.7。対策はタミフル備蓄とワクチン。

2006年6月コロンビア大学で公衆衛生関係者50人があつまる。井上氏はマスクについて講演。井上氏のスペイン風邪の再来を防ぐ対策案:国民全員にマスクを配る。インフルエンザウィルスの伝搬経路は口からだけであり、患者にマスクをしてもらうことで患者の咳の風速を下げ、飛沫の飛散量を減らす効果がある。70円のマスク、20円のマスク、5円のマスクで実験をしたところ、どれでも咳の風速を下げる効果は変わらなかったので、5円のマスクを国民全員に配る。予算は6億円で済む。

スペイン風邪は咳が強かったのではないかと推測されており、咳の風速を弱めるという点での提案になっている。

エイズ性感染症はコンドームで予防する。

(感想)本書では、インフルエンザウィルスは咳でうつるので、咳の強いウィルス株が生き延びると主張する。そして咳の弱いウィルス株は負けて消滅するという。しかし、新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)は、無症状(発症前)で感染するという点で、この観点とは違う新しい観点が出ている。SARSウィルスは無症状で感染することがなかったので、SARS-CoV-2は、SARSよりも進化したウィルスと言える。

テレワークの実情

コロナ後もテレワーク、「オフィス消滅」企業が続々 (1/3)

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/1264927932604190720

日立 在宅勤務を標準に転換方針

テレワーク利用が進まない業界、3000人調査で判明

育児しながら在宅勤務“仕事に支障”男性6割 女性9割 民間調査

noteは在宅勤務をベースとしたフレキシブル出社制度を無期限で導入します。フルリモート勤務可能な遠隔地採用も強化!

さよなら、トーキョー。|じゅりあん|note

ドワンゴが在宅勤務制度導入。対象者へ毎月2万円の手当

富士通、オフィス半減発表 在宅勤務支援に月額5千円

キリン、通勤手当一部廃止 在宅勤務に月3千円支給

GAFAでも超えられなかった在宅勤務の壁をどう超えるか

ヤフー、全社テレワークに10月から正式移行

 

『感染症は実在しない』(岩田健太郎著、インターナショナル新書、2020年4月28日発行)

「実在する」という言葉の意味合いがあまり明確に理解できなかった。より正確には、共感しなかったというべきか。

たぶん、リンゴが実在するというのは「もの」として目の前にあって、見方によってなくなったりするものではない、ということなのだ。一方、病気はそういう見る人によって変わらない「もの」として存在するのではなく、医師がこの人は病気だと見立てて初めて認識される「こと」である、という意味らしい。

感染症は現象である。インフルエンザは、急に熱が出てのどが痛くなって1週間以内に治ってしまうことの多い病気であるとされてきた。しかし、インフルエンザウィルスが発見されて「もの」として扱われるようになってきた。

新型インフルエンザは感染症法でものとして扱うことで対応手続きが形式的になる。例えば、神戸市で見つかった新型インフルエンザ第一号の高校生は自宅で既に症状が改善していたにも関わらず、指定医療機関に入院させた。しかし、そういう扱いは却って感染を広げるリスクが大きくなる。

本書で一貫して主張しているのは、「病気は医者によって恣意的に認識された現象である」という主張である。それは分かるが、それに対して「感染症は実在しない」という言い方や本のタイトルがふさわしいのだろうか? どうも違和感を感じる。

 

『誤解 ヨーロッパVS日本』(エンディミオン・ウィルキンソン著、中央公論社、1980年6月20日発行)

著者は日本における最初のEC代表部員として1974年から1979年まで日本に滞在した。ECに帰任するにあたり、滞在中に学んだことをまとめた本である。主に貿易面での摩擦を文化的な関係でとらえようとしている。

著者はヨーロッパと日本のお互いの誤解について過去の歴史から調査した。その結果気が付いたこととして、日欧の双方が相手に対して抱いているイメージやそれに基づく「対話」の仕方が昔から少しも変わっておらず、壊れたレコードのように同じことを繰り返しているという(p.8)。

20世紀の初めはヨーロッパの列強は植民地主義の有力な勢力であった。その版図は日本のすぐそばの地域まで伸びていた。しかし、20世紀の後半から終わりの時期はヨーロッパがアジアから撤退した。一方、日本は二つの大戦の期間にわたりヨーロッパ勢力をアジアから駆逐する力であり、戦後はヨーロッパよりもアメリカを範としながら国際的な役割を増やしてきた。戦後の日本製品のアジアへの進出はアジアでのヨーロッパの影を薄くした。

100年前はヨーロッパがアジアに砲艦外交をしていたのにもはや日欧でその立場が逆になった。ヨーロッパ人は自己の役割が減退したが相変わらず誇大な自己イメージをもっている。一方、日本人は自己に求められる役割が大きくなっているのに相変わらず遠慮がちである。お互いに自己のもつイメージが実態とずれており、両者とも昔のままの視点で相手を見ている。

ヨーロッパ人の日本観は、16世紀のイエズス会宣教師が書いたことと同じことがオウム返しに繰り返されている。日本人は強大な中心勢力の周辺部で他者から学んできた。そして他者への姿勢には拒否、吸収・同化、反動としての嫌悪というパターンが繰り替えされるようだ。吸収・同化の期間は、和魂漢才、和魂洋才といった合言葉に表されるが、外の文化に模範を求める姿勢がある。

ECと日本との貿易摩擦が繰り替えされたが、この原因にはお互いの理解不足がある。しかし、1976年10月26日土光ミッションがヨーロッパを訪問し、土光ミッションがヨーロッパで批判の嵐に行き当たったことで変化が現れた。この1976年の日欧貿易摩擦の経験は過去に繰り返されたパターンと同じだった。

こうした失敗を繰り返さないためには、ヨーロッパはもっと新しい日本を学ぶ必要がある。日本も工業製品の輸入を増やし、輸出品目の多様化、直接投資を増やすなど経済行動を変える必要がある。

本書が書かれたのは1980年で、日本が経済的な頂点に達する前の時期である。いまから見ると部分的には、少し古く感じる箇所もある。しかし、日欧の相互認識には、類型パターンが数百年前から繰り返されていることがある、という著者の指摘は恐らくいまだに変わっていないだろう。ここに注意すべき意味がある。