『ヨーロッパ戦後史 上 1945-1971』(トニー・ジャット著、みすず書房、2008年3月19日発行)

第二次大戦により民族的均質性をもつ国民国家のヨーロッパが生まれた。この過程で強制移住民・難民が発生、最初の措置はアメリカ軍を中心とする連合軍、次第に国連救済復興機関(UNRRA)が責任を持つようになった。UNRRAは1943年に設立。1946年国連難民救済機関(IRO)が設立された。両者は1951年末国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に引き継がれた。

ソ連や東欧の強制移住民は帰還を望まなかった。1945年から1946年はそれでも強制帰還させた。ソ連では5人に1人が銃殺か強制収容所送りになった。1947年に冷戦の開始、強制帰国が中止された。

戦争で従来の社会・経済の階層構造が壊された。暴力が日常生活の一部になった。ドイツ占領下では財産権が偶発的なものとなった。戦後はポーランドからユーゴスラビアまでドイツ人の立ち退きで財産や土地が国家の手に収められた。 

戦後の報復。第二次大戦の悲惨さの責任はドイツ人に負わせる。連合国は1943年のモスクワ宣言で、オーストリアヒトラーの最初の犠牲者だったと合意した。これによって、オーストリアは、ナチに忠誠をささげたにも関わらず、連合国から責任をあまり問われなかった。

1945年10月から1946年10月にかけてニュルンベルク国際軍事裁判でナチの指導者を裁いた。ドイツの非ナチ化には限界があった。集団的忘却。

※本書はあまり面白くない。途中で読むのを断念。

 

『深堀り! 日本株の本当の話』(前田 昌考著、日経プレミアシリーズ、2022年3月8日発行)

コラムなのでトピックがばらばらだが、雑な知識を仕入れるのには良い。

なにしろ、時代が変わりつつあることを実感できる。

社員の平均年齢が高いと株価上昇率が低いというのは身につまされる。

図表6-20、図表6-21

 

『1989ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパを巡る闘争(下)』(メアリー・エリス・サロッティ著、慶応義塾大学出版会、2020年2月28日初版第2刷発行)

1990年3月18日東ドイツで、戦後初めて自由投票が行われた。

1990年2月10日~11日モスクワで、ゴルバチェフはドイツ統一はドイツ人が決めるべき問題とコールに承認。

統一ドイツ、特に東ドイツ領域の安全保障問題、NATOか中立かなど、東ドイツ中流ソ連軍の扱いが重要となる。また、統一のための法的枠組みは、西ドイツの基本法第23条を使うこととした。基本法東ドイツの条約義務を両立させる。東西ドイツの通貨・経済統合、DMを東ドイツ通貨とする。

3月18日選挙でコールが勝利。1990年7月1日経済・通貨統合を設定する。

EC加盟国の不安。ミッテランを味方につけて、4月28日のEC臨時首脳会談で、ドイツ統一計画を承認する。コールはミッテランの通貨統一に協力し、ヨーロッパ統一市場へ。

1990年後半、コールは東ドイツからのソ連軍撤退のためにゴルバチェフと交渉。ゴルバチェフの任期の不安定性がリスク。飴は資金援助。ゴルバチェフは汎ヨーロッパの安全保障を望む。軍や政敵(ファリン、ソ連軍元帥アフロメーエフ、国防相ドミトリー・ヤゾフ)の反対が多くなり、指導力の危機が迫る。指導力を落とさないように配慮する必要がある。5月に50億DMの信用供与を約束。

米ソ首脳会談は5月末。その前に米独対策会議で首脳会談の戦略を練る。会談ではゴルバチェフはNATO拡大に反対するが、ヘルシンキ原則の尊重を認める譲歩をする。しかし、ドイツに関する発表はなにもなし。

7月コールがモスクワを訪問し、ゴルバチョフの首脳会談の予定。6月25日西ドイツは東ドイツに駐留するソ連軍に12.5億DMを払い、ソ連兵と家族は東ドイツマルクをDMに2対1のレートで交換できるとする。東ベルリンの指導者はコールに反対したが、ワシントンの説得で理想主義を弱める。アメリカはゴルバチョフに資金援助はしない。

7月4日からNATO首脳会談でNATO改革を発表する。7月2日からのソ連共産党大会はゴルバチョフが乗り切る。7月14日コール他の代表団一行はモスクワに向けて出発。会談でゴルバチェフが統一ドイツがNATO加盟国になることを認める。3~5年でソ連軍が撤退し、西ドイツは撤退の財政援助する。東ドイツ核兵器は配備されないなど。ドイツ統一ソ連の承認を得た。

1990年8月初旬、イラクのクェート侵略。コールには、ソ連が他の3か国と共に1945年から有している占領統治関する権利を放棄する協定、1994年までに東ドイツ駐留ソ連軍が撤退する目的の協定、を結ぶことが残っていた。9月10日110~120億MDを提供するがゴルバチョフは満足せず、次に120億DM+30億DMの無利子ローンを提案して妥協する。9月12日協定の調印式。10月3日政治的かつ法的統合を完了する。

本書は、ヨーロッパの現代史の中ではトップクラスの読み応えがある。1989年11月9日に誰も予期しない形でベルリンの壁が崩壊してから、1990年10月3日に東西ドイツが統一するまで。この時、現在のウクライナ戦争に至る枠組みができたといえる。

東西ドイツの統合は、沖縄返還と比べたら、桁違いの難題だが、それを1989年11月から1990年7月までの間の交渉で実質的に決着させた、コール首相の政治力、交渉力は驚異的だ。しかも、これをすべて外交交渉で成し遂げたのがスゴイ。ソ連に対して多額の援助ができた経済力の裏付けもあったのだが。

『1989ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパを巡る闘争(上)』(メアリー・エリス・サロッティ著、慶応義塾大学出版会、2020年2月28日初版第2刷発行)

1989年に歴史が終わったかに見えたが、しかし、今になって思えば本書のいうとおり1989年を、東西冷戦後の新しいヨーロッパの歴史の始まりと捉える方が正しいのかもしれない。

本書は1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊する日から数か月の期間に焦点を当て、西ドイツ、東ドイツを中心に、米国、ソ連、フランス、イギリスの政権の対応について詳しく調査した結果を整理している。政府の指導者だけではなく、東ドイツの報道官シャボウスキーの会見から、国境通過地点で起きたことまでドキュメンタリー風に臨場感をもってまとまっている。

ベルリンの壁の崩壊は、主要国の指導者が知らないところで起きたのであり、その後どうなるかは不確実であった。しかし、その後、たった3か月後の2月10日には、東西ドイツが統一される道が開かれた。東西ドイツ統一以外にも、いくつかの構想があったが、状況の変化に対応しきれずに消えた。この方向に向う、東西冷戦後のヨーロッパを創造するにあたって最も影響力があったのはコールであったとする。

ベルリンの壁が崩壊したのは、東ドイツの経済が行き詰まり国の破綻が目の前に迫っていたこと、西側と比べても大きな生活水準の格差やあることや物資の不足などに対して民衆の不満が溜まっていたためである。

壁が崩れても東ドイツには40万人近いソ連兵がなお駐留していたが、彼らが交渉力として使われることはなく、ましてや武力に訴えることはなかった。これはゴルバチョフが平和的にソ連を改革しようとしていたことによるが、ソ連や東欧の国々が経済的に行き詰まってしまっていたため対応しきれなかったという面もある。

東西ドイツの統一に伴い、ECとNATOが、東ドイツ地域へ拡大するかどうかについては、ベイカーがゴルバチョフとの会談で、「NATOの管轄権は東方へ1インチたりとも動くことはないであろう」と約束した。しかし、ゴルバチョフはこの約束を協定として残さなかった。1990年2月の事態をめぐってはロシアに怨恨が残り、2022年になってもまだ問題になっている。

『世界はコロナとどう戦ったのか? パンデミック経済危機』(アダム・トゥース著、東洋経済新報社、2022年2月3日発行)

コロナによる経済危機に世界各国は財政支出をもって立ち向かったという話が中心。あまり面白くない。

『世界マネーの内幕―国際政治経済学の冒険』(中尾茂夫著、ちくま新書、2022年3月10日)

いろんな本をつまみ食いして張り合わせたという印象の濃い堕書である。結局のところ、何をいいたいのか、あまりよく理解できない。

『アルゴリズムの時代 機械が決定する世界をどう生きるか』(ハンナ・フライ著、文芸春秋、2021年8月25日発行)

アルゴリズムの役割は次の4つに分けられ、その組み合わせである。

1.優先順位を決める。グーグル検索、推薦、ルート選択

2.カテゴリーに分ける。

3.関連、つながりを見つける

4.フィルタリング

ルールに基づくアルゴリズム機械学習アルゴリズム

カーナビのルートを鵜呑みにして崖から転落しそうになった運転手、予算管理ツールの誤った予算削減を守ろうとする役人。アルゴリズムのミスだが、コンピュータの言うことを無視するのは難しい。

店で食品を買っているつもりで、自分のデータを提供してしまう。匿名のネット閲覧履歴でも個人を特定する手掛かりはある。ケンブリッジ・アナリティカ事件。

中国政府の芝麻信用(セサミクレジット)はすべての国民に適用される。

EUの一般データ保護規則でデータブローカーは目的を知らせずに個人データを集められないが安心はできない。

司法制度の有罪判定にアルゴリズムを援用する。計算を元に犯罪を犯すリスクを予想する再犯リスク評価アルゴリズムは決定木を使うものが多い。裁判官の判断はかなりの部分が直観により、人により一致しない。機械の方が論理的かもしれない。

癌の診断アルゴリズムは、病理医が見逃す異常も見逃さない。病理医は見逃すことが多いが誤検知は少ない。アルゴリズムで検知し、病理医が判断すると良いのではないか。

自動運転はほとんどがベイズ推定の応用である。平常時は自動運転で、異常が起きたとき人間が代わるという方法が危険である。エールフランスエアバスA330、447便の墜落事故は、自動操縦で飛行しているとき異常が起きて自動操縦が解除され、不慣れな若手の操縦士への切り替えで起きた。若手操縦士がパニックを起こして、異常にうまく対応できなかった。自動車の自動運転は運転手を補佐する方が良い。

犯罪が起きる場所を特定するアルゴリズム。地理的プロファイリング。

顔認識アルゴリズムによる人違いで捕らえられた例や飛行機の搭乗拒否された例がある。

アルゴリズムでヒット曲や映画のヒットを予測するのは難しい。1997年オレゴン大学での実験は、バッハが作曲した局、大学の教授がバッハを真似て作った曲、アルゴリズムで作曲した曲を演奏し、どれがバッハの曲か当てる実験をしたが、参加者は正しく回答できなかった。