『バブル 日本迷走の原点』(水野 健二著、新潮文庫、令和元年5月1日発行、原本は2016年11月刊)

第1章はバブル発生前史。概ね70年代、80年代。

運輸省の海運集約に刃向かった三光汽船。いち早く日本国籍でない船舶に外国人船員中心の運行体制。三光汽船がジャパンラインの株を買い占め。カルテル体制に刃向かう。三光社長の河本敏夫、ジャパンライン社長の土屋研一、興銀の代理人たる児玉誉士男とそごうの水島廣雄の和解調停書で73年4月24日に政治決着。M&Aがアングラ化する。ジャパンラインは興銀海運部といわれるほど興銀支配となる。興銀とアングラ社会のつながり。

70年代~80年代仕手グループが百花繚乱。加藤暠の誠備グループと是川銀蔵兜町の終焉。

73年は国際金融システムの変質への転換点。スーザン・ストレンジの『カジノ資本主義』。

83年の野村モルガン信託構想は大蔵省が認めず。84年4月大蔵がつぶす。

日本のM&Aの歴史を作ったミネベア高橋高見。70年代の前のM&Aは概ね非敵対的でうまくいく。83年蛇の目のTOBは失敗。85年三協精機M&Aも失敗。

第2章金融自由化で、財テクが盛んになる。特金・ファントラも活発に。NTT株の上場フィーバーで土地と株で稼ぐブーム。

85年9月22日プラザ合意。一ドル242円から一年後に150円代となる。

銀行がノンバンクを巻き込んで土地融資に奔走する。89年三菱地所ロックフェラーセンターを2200億円で買収する。86年から89年の土地・株式のキャピタルゲインは1452兆円。(日本のGDP400兆円)。

山一証券:80年代、営業特金で法人預金との金利競争に走る。証券会社の判断で資金運用+利益保証→85年頃には一旦赤字は補填→86年以降、営業特金の拡大作戦→赤字隠しの粉飾決算に至る→97年11月22日自主廃業スクープ

 87年2月NTT株上場:野村総研は一株50万とみる。実際には160万円の値が付く。4月22日318万円。PER300倍。89年10月135万円。バブル崩壊後92年には50万円に迫る。その後、長く低迷した。NTT株公開の大フィーバーはリクルート事件を通じて政治不信を増幅して、自民党の一党支配体制を押し流す。

88年1月大蔵省の政策。「特金・ファントラの決算処理の弾力化と生保の運用枠の拡大を軸とした対策」。80年代、証券会社が運用を一任勘定で預かる営業特金は、事業会社・証券会社・銀行の相互無責任による財テクの拡大・損失隠しにつながった。翌日から89年12月29日の大納会終値3万8915円87銭まで日経平均が上昇。

 財テクの雄:阪和興業。北茂。CPの発行残高を含めて総資産10兆円に膨れ上がる。財テク批判の寺田専務は諫言するも聞き入れられず辞任。市場で変動する株式価格を金融機関に約束させる財務責任者が「財テクのプロ」とは。

第3章1988年から89年に発覚。リクルート事件国策捜査リクルートの生命力は強い。

 イ・アイ・イ・インターナショナル長銀。空虚な一兆円帝国。

秀和・小林茂トリックスター。60年代のコンパ、区分所有法施行を受けた分譲マンションブームの先駆け。

トヨタvsビケンズ。麻布建物グループの渡辺喜太郎が小糸株をトヨタに肩代わりさせることをもくろむ。豊田英二の徹底抗戦指令でつぶれる。

小谷光浩。街の不動産業に毛の生えた程度からコーリングループになる。住友銀行が仕手戦を支える。

 田淵節也、海の色が変わった。「全銀行を挙げての土地バブルの付けも銀行に回ってくる」。弱気論。90年2月トリプルメリット崩壊。

第4章興銀と尾上縫。日本の戦後システムのフラッグシップ・興銀はみずほコーポレート銀行となる。

損失補填問題。損失補填で挙げられた企業側は損失補填の認識はないという。形を変えた大口手数料割引という指摘もある。しかし、財テクの実態として利回り保証はあった。