『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(フレデリック・クレインス著、講談社現代新書、2019年12月20日発行)

江戸時代、オランダとの貿易の為、長崎の出島にオランダ人が駐在していた。そのオランダ商館長は毎年1回交代するとともに、江戸まで来て将軍に拝謁していた。本書は、その商館長の公務日記に記載された日本の災害に関する記録をピックアップして編集したもの。

やはり圧巻は、先頭のワーヘナール商館長の伝える明暦の大火の体験談である。一行は1657年1月18日長崎を出発、2月16日江戸に到着する。2月27日将軍に謁見した後、3月2日3時頃、大目付の井上邸(現:九段)にて大火に気が付く。定宿の長崎屋(日本橋室町)に急いで戻り、荷物を土蔵に入れ逃げる。外神田の長崎奉行・黒川邸、さらに平戸藩邸と非難するも邸に入れず、浅草まで逃げて小屋で夜を過ごす。この間の避難する人々の混乱ぶりの記述は、大火に逃げ惑う群衆の姿が目の前に見えるような臨場感がある。

3月3日朝、今度は南の方で火災が発生しているのを遠望する。これは小石川周辺で発生した火災である。さらに、その日の午後は麹町から火災が発生する。明暦の大火では、この3つの火災が起きて、江戸城の本丸・天守閣、二の丸を含め中心部はほとんど焼けてしまった。長崎屋も全焼・土蔵もなくなってしまう。3月4日には長崎屋の焼け跡に立つ。江戸の街中に横たわる死体、浅草門での大勢の死者など悲惨な現場を伝える。

3月9日に江戸を立つ。途中、江戸城の焼けた跡、橋が焼け落ちた姿を伝える。4月7日長崎に戻る。

その他、元禄地震(元禄16年11月23日、1703年12月31日未明)、肥前長崎地震(1725年10月から半年近く)、京都天明の大火(1788年3月7日)、長崎雲仙普賢岳の噴火による山体崩壊・津波の被害(1792年2月10日から7月まで)など多くの災害の報告は悲惨である。

本書を読むと、江戸時代には毎日火災・地震・噴火があったかのような印象を受けるが、冷静になって140年間の記録からのピックアップであることを考えると、少しばかり安心する。江戸の人々は、こうした天災の度に家屋を失ってしまう。本書の末尾にもある通り、それにめげずにたちまち町を復興するという姿に感動する。