『AIに負けない子供を育てる』(新井紀子著、東洋経済新報社、2019年9月19日発行)

図書館から借りる。待ち行列に入ったのが半年位前で忘れたころに順番が来たのだった。読み始めたがなかなか面白い。
 
リーディングスキルテストの体験版は面白い。 結構自身があったのだけど、28問中正解21問(75%)。70点満点で56点(80%)だった。つまり容易な(割り当て点の低い)問題で間違う傾向があったということ。
 
係り受け解析、照応解決、同義文判定、イメージ同定は各4問満点。推論は2問のみ正解。具体例同定は8問中3問正解。どうやら、推論に問題があるようだ。一つの原因は余計なことを考えすぎるという点もあり。
 
新井さんは、「リーディングスキルテスト(RST)は知識を問う問題ではない」としきりに主張しているが、本書の問題の中には、知識に依存しているものがある。例えば、Q25は約数に関する定義を覚えているかどうかで正しい回答が変わる。知識の有無で正答が変わるということ。(約数が整数にしか適用されないのかどうかで間違った)。
Q15の「国境を超えた難民」にはとても困った。すべての国に国境があるかどうか? あるいは国境とはなにか? パレスチナは国なのか? などの疑問がわいて答えられなかった。(新井さんは、難民が発生するすべての地域には必ず国境があると暗黙に想定している)。難民の定義は、難民条約にある。「他国に逃れた人々」が難民で、「国境を越えずに避難生活を送っている人々については「国内避難民」なのだった。パレスティナは2012年に国相当になったのでたぶん現在は国境がある。しかし、パレスティナ難民が生まれたのは第一次中東戦争の頃なので、「国境を越えたら難民」という定義があてはまらないのではないだろうか。そもそも難民が生まれるような地域は国の統治ができてないんだから。他でも間違ったのは、余計なことをいろいろ考えた。
 
新井紀子さんという人は、知的能力が高いだけではなく、実行力も優れている。いつか、教育のための科学研究所が行っているRSTを受けてみたい。

『ガリア戦記』(高橋 宏幸訳、岩波書店、2015年2月)

ガリア戦記、昔から一度読んでみたいと思っていたが、漸く念願かなう(というほどのことでもないが)。

カエサル自身が書いたのは、紀元前58年から同52年までの7年間で、1年ごとに1巻となっており、紀元前52年が第7巻となる。第8巻はヒルティウスが著したもので紀元前51年から50年の2年分である。

ブリタニアへは、前53年に小規模な上陸、前54年に大量の艦船を建造・調達して本格上陸する。

毎年冬場は軍団を各地に分散させて越冬して、春が来てから行動したようだ。軍団を各地に分散させることで勢力分散のリスクもあった。

ガリアは小さな部族に分かれており、一つの国としての支配体制ができていなかった点が、当時のローマ帝国と異なるのだが、部族ごとにリーダーがいて、その支配権争いがあったり、要は統一されていないためにローマに付け込まれる隙ができていたといえる。毎年カエサルの軍に負けているわけだが、何回負けても立ち上がって反乱を起こしているところを見ると、カエサルの獅子奮迅の働きも何のためなのか、理解に苦しむ面もある。

第7巻のウェルキンゲトリクスの反乱が一番ローマ軍に勝てそうに見えるが、なぜローマ軍が逆転勝利を収めえたのかあまり納得のいく記述がない。どうやら、ガリアの民族は、少しばかり劣勢になると恐怖に駆られて、軍勢も逃げ去ってしまったようなので、結局は統率力の問題なのかもしれない。結局、寄せ集めの集団である兵の恐怖心を如何に制御するか? 逆に、ローマ軍は長く戦ったプロ兵士の軍団であり、カエサルの統率力が勝利の要因だったのかもしれない。

全体を見ていえることは、戦争は当時も今も、あまり意味があるように思えないということである。

『破壊の経済 上』(アダム・トゥーズ著、みずず書房、2019年8月8日発行)

ナチスドイツを経済運営面から検討したナチの経済史である。ヒトラー政権を経済面から検討した研究は少ないとのこと。上巻はナチスが政権をとってから第2次大戦(西部フランス)開始直前までについて。

1945年までのイギリスは世界帝国であった。1939年のイギリスとフランスのGDP合計は、ドイツとイタリアの合計の1.6倍だったという。本書を読むと、ドイツには重化学工業分野での大企業も多かったが、ドイツの国民一人当たりのGDPはあまり豊かな国ではなく、国民を大多数は農民で、資源も外国からの輸入に依存するものが多いのは意外だった。

1928年2月のヴァイマル共和国の選挙では、ヒトラーの党は2.5%の得票と12議席の獲得。シュトレーゼマンの経済修正主義が優勢だったが、これはアメリカへの期待に基づく。次のブリューイング政権は1930年4月米国からの債務支払いなどに対応するため人頭税、歳出削減、増税というデフレパッケージで経済暴落失業者倍増。1930年9月総選挙でナチ党得票率18.3%、107議席を獲得。1931~1932年冬までにドイツ経済はますます悪化。ナショナリズム政策へ転換する勢力が力を持つ。ブリューイング首相更迭後の1932年7月選挙でナチ党得票率32.7%。1933年1月ヒトラー政権樹立。

ヒトラー政権成立から定まっていた最も重要な方向は、生存圏の確保であり、そのための再軍備である。

第一次大戦の賠償を多く抱える状態から、戦争に備えて軍備を整える過程では、国際金融面で非常な無理があった。当初は賠償の問題が主であり、後半では輸入のため使える外貨が少ないため、軍備に投入できる資源が限られてしまうという問題があった。軍備を整えるためには、民需を抑えて、鋼鉄などの資源を軍に傾斜配分する必要がある。本書の主な分析はこれをどのように実現したかということである。

ヒトラーは次のことを認識していたようだ。英仏にアメリカを加えれば、ドイツの国力は圧倒的に不利な状態である。ドイツは非常な速度で軍備の拡大を行ったが、国の生産力を考えると、1939年の冬あたりがドイツが相対的に有利であり、それから時間が経って連合国が戦力を整えるにつれて不利になる。そこで一か八かの開戦に踏み切らざるをえないという判断だったらしい。

このあたり、日本が太平洋戦争に踏み切ったときと似ていると感じる。資源のない物の考えることは同じということか。

『暴落 金融危機は世界をどう変えたのか 下』(アダム・トゥ―ス著、みずず書房、2020年3月16日発行)

金融危機は米国では一旦鎮静化した。その影響で国家財政が落ち込んで2010年には緊縮財政に向かった。

ギリシャアイルランドポルトガルでは危機が国家財政に破滅的影響を与え、持続不可能な状況に陥る。ギリシャはもともと政府債務が大きすぎた。ユーロ圏に属さなければまっさきにIMFの支援プログラムの対象のはず。アイルランドはオフショアバンキングのハブで、2008年9月30日、銀行債務をアイルランド政府が保証するとして支援に乗り出し、財政が破滅的になった。合理的にはアイルランドギリシャでは債務再編でしか解決できなかったはずだが。しかし、そうするとシステミックリスクが再燃したかもしれない。債務再編が必要なのにEUにはそのメカニズムがない。マーストリヒト条約は加盟国同士の相互支援を禁止、2009年12月発効のリスボン条約も債務の相互化を禁止している。

2008年には一国レベルだったが、2010年には欧州の単一通貨制度が解体の危機に追い込まれる。ギリシャアイルランドポルトガル、スペインに対する外国銀行の貸付を総額は2兆5千億ドル。フランスとドイツの銀行が5千億ドルずつ貸し付け。他にイタリアの政府債務。2010年春ギリシャ政府がフランス政府と相談したとき、フランス政府は「先送りとごまかし」=欧州全体による支援を選んだ。しかし、ドイツは救済のシナリオを拒否、メルケルアメリカ政府はIMF支援を提案し、2010年3月25日ECBとフランスの反対を押しきる。EU、ECB、IMFトロイカで緊縮財政を押し付ける。4月ギリシャ危機。5月10日ECBがギリシャ国債購入を可決。ギリシャ危機がシステミックリスクに発展しないようにIMFは5月9日理事会で融資を可決。

英国は2010年選挙で労働党から保守党に変わる。2010年から2015年までに年間歳出を980億ポンド削減。2009年9月公共部門職員644万人を2016年7月543万人に削減した。ドイツは2010年6月大規模な予算削減を発表。債務ブレーキ。ギリシャでは負のスパイラルに陥る。米国は逆。2010年米国の失業率は10%近くで高止まり、オバマ中間選挙で歴史的大敗。経済対策を決めるが中途半端。2010年11月3日FRB量的緩和第2弾(QE2)。これは欧州の銀行が米国債を売ってドルを積み上げる結果となった。

2011年春欧州は緊縮財政と増税内需減退、EUの失業率は10%。15-24歳は20%。アイルランドは15%、30%。ギリシャは14%、37%。スペインは20%、44%。市民の怒り。2011年4月ギリシャの返済期限見直し要請。

2012年7月26日ドラギECB総裁の「必要なことはなんでもする」発言で急性ユーロ危機は食い止められた。

アメリカ2008年はクライスラーGMも政府に救済された。2013年「過去20-30年間慢性的な低成長だった」と認識した(サマーズ)。2009年~2013年の景気回復が生み出した経済成長の95%を上位1%の富裕層が独占している。平均的なアメリカ人は長期停滞。経済成長と社会の発展の乖離。アメリカでは富裕層が権力を持ちすぎている。

2010年11月3日QE2、2012/9/13QE3。(2014年7月QE3終了)FRBのバランスシートと株価の変動がぴったり合う。経済の実態ではなく、金融政策中心に物事が動く。2012年には3680億ドルが新興市場に流れ込んだ。世界的な信用サイクルの巨大化。FRBがQE3を終了したら? テーパリングによる新興国債務危機が生じる。2013年10月31日中央銀行流動性スワップの常設化。

EUEU連合協定による東方パートナーシップ交渉。ロシアはユーラシア関税同盟の発展を望む。二つは相いれない。ウクライナは選択を迫られる。2014年2月27日ロシアによるクリミア半島掌握。数日後ウクライナ東部ドネツク州の親ロ分離主義勢力反乱軍支援。2014年7月マレーシア航空17便撃墜。ロシア制裁強化へ。石油の下落とルーブルの下落が軌を一にする。ロシアの苦境は周辺国の苦境でもある。2015年3月11日ウクライナIMF支援に頼る。2017年7月ウクライナEU連合協定が批准される。

2013-2014年ドイツは欧州で独り勝ち。ユーロ圏経済は2011-12年緊縮財政で疲弊する。2012年にユーロ危機を抜け出したかに見えたが、2014年には再び窮地に。2014年の欧州議会議員選挙で欧州懐疑主義ナショナリストが躍進する。2015年1月ギリシャではシリザの政権が成立。2015年1月ECBがQEに踏み切る。2015年2月~7月トロイカ債権団とシリザの厳しい交渉。ドイツは非妥協的だったが、メルケルが欧州を崩壊させた首相になりたくないという政治的な判断で妥協する。ギリシャにさらなる融資。

市場が世界を支配しているというグリーンスパンの考えは非現実的で、2008年の金融危機は国家が大規模な介入を行って市場を統治した。2016年の米大統領戦は2008年が焦点となった。

2015年6月上海総合株価指数5166の高値から3週間で30%暴落。市場介入で一時持ち直し、2016年1月4日再暴落、2月には6か月前の半分2737ポイントになる。2015年8月中国政府の為替取引自由化で人民元が下落。中国からドルが逃避。2008年の中国は古典的グローバリゼーション。その後、中国の近代化でグローバルな金融システムに組み込まれる。 FRBQEでドルの金利が低く、ドルで借りて元で運用するドル―元のキャリー取引の条件が整う。為替の規制があるときは、ドルで借りて、コモディティを買い、コモディティを担保に元を借りて、中国で投資する。利益は、①金利差、②人民元に対するドルの下落、③コモディティ価格の3つで得られる。2015年QEの終了で歯車が逆回転し、元の売りが殺到する。

『貧乏国ニッポン ますます転落する国でどう生きるか』(加谷 珪一著、幻冬舎新書、2020年5月30日)

2018年ワシントンDCの世帯年収中央値は10万2千ドル、ニューヨークは7万8千ドル、シアトルは8万7千ドル、ロスアンゼルスは7万3千ドル。日本では平均値約550万円、中央値は423万円。日本と米国では2倍程度の開きがある。

大卒初任給は米国500~600万円。日本は月収20万円=240万円(この計算はおかしいだろう)。

OECDの調査では、購買力平価のドル換算で、日本人労働者は4万ドル、米国6万3千ドル、フランス4万4千ドル、オーストラリア5万3千ドル。日本と諸外国では1.5倍の開きがある。

日本の物価が安い。日本のディズニーランドは世界で一番安い。中国やタイよりも安い。日本のサービス産業は、安さに惹かれてやってくる外国人を相手にしている。

自動車の平均価格は1990年代200~250万円だったが、いまは300万円を突破している。平均年収はこの間下がっている。

2019年の首都圏マンション平均価格は5980万円。リーマンショック以降1500万円上がっている。低金利で支払金額は減った。6000万円になるとさすがに苦しい。しかし、コストが上がっているので販売価格は下がらないだろう。OECDによると不動産価格はと2000年を100として日本は78.5と唯一下がっている。日本のマンションは世界的にみると安い。

日本の人件費は安くなってきたので、メーカーなどはアジアから日本に工場を回帰させる動きが出ている。過去1年間で国内に戻した2018年度14.3%。中国から日本への回帰が多い。生産性を含めた単位労働コストは中国より日本が安い。

日本の国際的な地位は低下した。競争力ランキングは1989年1位から2019年30位。優秀論文数は低迷、韓国にも抜かれそう。公的年金の状況は悪化。37か国中31位。実質賃金が30年間横ばい。OECDによる相対的貧困率は38か国中下から11番目。

日本経済は過去20年間ほとんど成長できていない。政府の宣伝はうそ。成長への希望がない。日本企業は昭和モデル。大国幻想を捨てよ。成長しなくても良いは成立しない。日本はそもそも経済大国ではなかった。1990-2000年の一人当たりGDP世界一は、為替レートの見せかけのみ。

サラリーマン社長を一掃せよ。

※本書はあまりお勧めできない。ちなみに幻冬舎新書で良い本にあったことがないような気がする。

 

 

『暴落 金融危機は世界をどう変えたのか 上』(アダム・トゥ―ス著、みずず書房、2020年3月16日発行)

米国の大統領が変わるごとに財政赤字に関する方針が変わる。クリントン時代にルービンが財政黒字にした後、ブッシュ時代に財政が大赤字に転ずる。中国はドル固定相場で元を安めに固定して競争力を保っていた。中国の巨額の貿易黒字の大部分は財務省中期証券として保有される。

1990年代から2007年の危機勃発までの間にアメリカの住宅金融は不安定化した。原因は、①住宅ローンの証券化、②それが銀行の成長戦略に組み込まれた、③新しい資金源、④国際化の四つである。

1980年にはアメリカの住宅ローンの67%が預貯金取扱銀行のバランスシート上にあったが、1990年代終わりには証券化され政府支援機関(GSE)、銀行、年金、保険基金に広がった。裏付けとなるローンを注意深く監視することがなくなり、原債権者、卸売り業者、などを経由して売られるようになった。

プレトンウッズ体制の崩壊と通貨・資本移動の規制緩和投資銀行が躍進した。投資銀行は取引量とレバレッジを通して利益を得る。1980年代初期の米国投資銀行株主資本利益率は50%以上。MMFや専門家が運用する機関キャッシュプールにお金が集まったが、その金が現代投資銀行誕生の燃料。商業銀行は貯蓄を失い、住宅金融を失って混迷し統合、1999年の銀行規制緩和によりユニバーサル・バンキングが登場した。

カントリーワイドのような住宅ローン金融会社は組成から証券化に事業拡張した。1990年代はGSE中心だったが、2003年従来型住宅ローンの借り換えブーム終了で民間主体となりサブプライムローンへの注力が始まった。2000年代にはサブプライムローンの拡大で証券化が変質した。民間不動産担保証券(民間MBS)の増加。

1990年代から2000年代初期にドル建て安全資産の需要が急増した。中国などは財務省証券を買う。民間MBSは金融システムと証券化業者のバランスシートに蓄積された。この資金はキャッシュプールから調達された。仕組みは資産担保CP(ABCP、3ヵ月満期の証券)とそれを媒介するSIV(ストラクチャード・インべストメント・ビークル)、レポ取引(買戻し契約)。2007年度末リーマンは50%の資産をレポ取引で調達していた。2000年代初め、アメリカ経済が生み出す利益の35%は金融セクターが稼いだものだった。民間ABS(非従来型住宅ローン、クレジットカードローンから作られるMBS,、学生ローン、自動車ローン)の残高は2007年夏で5兆2130億ドル。うち、サブプライムローンMBSは1兆3000億ドル。うち1兆1730億ドルは、ABCP市場(短期)で調達された。

アメリカの典型的な金利変動ローンは2,3年後に利率が急上昇する。2007年に年率7-8%から10-10.5%にリセットされた。住宅ローンのペイメントショックとデフォルト率の上昇。

証券化住宅ローンでは欧州の銀行が大きな役割。非適格型でリスクの大きいMBSの29%は欧州の銀行が保有。2007年夏ABCPの2/3を欧州の金融機関が保有していた。ドイツ銀行が特に多い。アジアとアメリカ間の金の流れは主に貿易によるが、欧州とアメリカ間は金融循環による。

2007年国際金融は欧州を中心としていた。ロンドンが金融取引の中心。英国では担保の再担保化の倍率規制が緩く、欧州と米国間で担保価値の400%に達した。英国の自由化が世界中の規制を撤廃する先導となり、1999年クリントン大統領の「金融サービス近代化法案」による金融規制緩和ニューディール時代の規制が消えた。この法案は世界の中心を維持するためのもの。BIS規制(バーセルⅠ)1988年7月。8%の自己資本比率。2004年バーゼルⅡとなる。自己規制・開示・透明性に重点を置く。規制は競争と資本移動により骨抜きにされる。

欧州通貨統合2001年欧州中央銀行(ECB)誕生。ECBの目標は物価の安定だったが、それに加えて政府債権の流動化に取り組んだ。ECBは債券のレポ取引で運用。ただし、ECBはヘアカット率を国毎に差別しなかった。域内貿易不均衡の不安、福祉・税制・歳出制度の共通化が必要。ユーロ導入のとき、ドイツは交換レートで輸出に打撃を受け、欧州の病人となるが、2003年までには回復した。ユーロ危機の背景である債務の拡大は民間部門で起きた。欧州では貿易の流れと関係なく、金融による資金の流れが起きた。2001-2006年にはギリシャフィンランドスウェーデン、ベルギー、デンマーク、英国、フランス、アイルランド、スペインでアメリカ以上の不動産ブームが起きた。

欧州の銀行の債務は巨大になった。2007年世界の3大銀行はロイヤルバンク・オブ・スコットランドRBS)、ドイツ銀行BNPパリバ。バランスシートの合計は全世界GDPの17%。2005年欧州憲法の制定は失敗し、2007年12月メルケル主体のリスボン条約が制定された。EC理事会を欧州の中央政府とする政府間主義である。

ドイツの壁の崩壊と1991年12月のソ連解体。ロシアの実質GDPは1989年から1995年の間に40%下がった。1998年8月17日ロシアは90日間の対外債務モラトリアム。8月19日国内債務デフォルト。東欧とロシアは1990年代は厳しい状況だった。1999年にはポーランドハンガリーチェコNATOに加盟、2004年4月ブルガリアエストニアラトビアスロバキアルーマニアNATOに加盟。同年5月ブルガリアルーマニア以外はEUに加盟、2007年にはこの2国もEUに加盟した。その後資本と金融の統合が進む。通貨問題。2000年5月プーチンが大統領となる。1999年頃からロシア経済が復活する。2000年後半には原油価格急上昇で貿易黒字と外貨準備が増える。ロシアはアメリカに対する債権国となる。2007年2月プーチンミュンヘン安全保障会議に参加し、多極化を指摘する。2008年2月ジョージアウクライナNATO加盟を申請。2008年8月NATOサミット。プーチンの抗議で行き詰る。ジョージア政府のロシアとの戦闘。欧州の東方問題。

危機の到来。2006年夏にアメリカの不動産価格がゆっくり下がり始める。2007年1月メリルリンチ傘下の不動産担保ローン発行者が最初の破産。2月HSBCが不動産担保ローンの損失引当金を積むと発表。2007年8月9日BNPパリバが三つのファンドを凍結した。「アメリカ証券市場の一部で流動性が完全に消滅した」と発表。2007年9月14日英国の住宅ローン融資会社ノーザン・ロックは破産。破綻の引き金は資金調達のメカニズムにあった。オンラインでの取り付けに対して、資金の流動性がなくなった。ABCP市場の崩壊、レポ取引の取り付け。2008年ベアー・スターンズは資金調達ができなくなる。2008年9月15日リーマン・ブラザーズ流動性プールが枯渇して破産申し立て。AIGの危機。MMFの額面割れ。

住宅市場の落ち込みで個人の富が縮小した。米欧で家計資産の損失。米国では900万世帯が家を失う。マイノリティの住宅資産の破綻。ヒスパニック系中間層は2007年から2010年に資産が86%減少。アフリカ系中央値の家庭は住宅資産をすべて失う。消費の減少。自動車産業の崩壊。2008年12月までにクライスラーGMの倒産が明らかになる。2009年トヨタは70年で初めての損失。トヨタショックIMF統計60か国中52か国が2009年第2四半期のGDP減少。若年ブルーカラーの失業率が高くなり2700万人から4000万人が職を失う。1930年代の大恐慌では大銀行が揃って倒産する恐怖はなかった。しかし、2008年は金融システムが崩壊する危機だった。(そういう考えは正しいか?)

2008年9月20日財務省提出の法案。市場安定化のために7000億ドルを白紙委任せよ。TARP案となるが、初回は否決され、ダウ平均は778ポイントの過去最大の下落となる。10月3日修正後成立。資産買取を目指したTARPは資本注入へ傾く。

欧州銀行のドル需要をFRBが支えた。欧州の銀行が真に必要としていたのはドルである。欧州の銀行は米国のMMFから1兆ドル、銀行間取引市場で4320億ドル、外貨スワップ市場で3150億ドル、ドルの現金プールを管理する通貨当局から3860億ドル、総計2兆ドル以上の短期資金を借りていた。これらが流動性の危機となり、FRBが支えた。FRBのバランスシートの拡大。さらに欧州各国の中央銀行とのスワップ協定でドルを提供した。これらは秘密裏に行われたが、2010年12月のドット₌フランク法、11年3月の情報公開訴訟の結果として明らかになった。ドルは相対的な存在になると言われていたが、2008年秋FRBの行動でその逆にさらに重要となった。

G20 1999年12月開催。人口の60%、貿易の80%、GDPの85%を占める。G20で中国がプレトンウッズ2計画をぶち上げる。2009年4月の第2回目G20首脳会議では2008年秋以降の出来事を話し合っていない。IMFの資金を大幅に増やす取り決め。タックスヘイブンに留意する。G20の2009,2010の経済刺激策はロシアとドイツはほぼ同じレベルで、欧州は少なかった。

2009年アメリカ復興・再投資法案(オバマ刺激策)は金融危機後の西側財政出動で最大、アメリカの歴史でも最大。反対にあって縮小されたが、計量経済の研究では効果が大きかったとされている。しかし、不十分であった。銀行や貸し手の救済に偏っており自宅を失った人を救済しなかった。アメリカの財政主出のうち裁量の余地があるのは1/3であり残りは義務的な給付金であり、自動安定化装置として働く。メルケルのドイツは債務ブレーキを掛けた。

オバマは甘い。巨額のボーナスを払おうとする銀行家をホワイトハウスに呼んで頼むだけ。2009年2月財務省FRBがストレステストを開始、大銀行に信認を与えるための追加資本を策定する。資本を増強するコストが下がり、銀行は資本増強してTARPによる管理を抜け出す。2010年7月ドット₌フランク法(ウオールストリート改革・消費者保護法)の成立。

2007年から2009年に250万戸の住宅差し押さえ、その後12ヵ月で117万8千戸の差し押さえ。2010年市民の怒り。銀行ロビイストとの闘い。2013年12月ボルカールールの最終版。金融監視安定評議会。2008年G20バーゼルⅢ開始。2011年11月バーゼルⅢの29のシステム上重要な金融機関発表。

欧州は遅れた。アメリカの銀行は欧州の銀行に比べて大規模に資本増強した。しかし、欧州の銀行はECBから低金利の融資を受けて高利回りの国債を買って利益をだすというその場しのぎの対応した。これは2010年以降のユーロ危機につながる。

『プログレッシブキャピタリズム』(ジョセフ・E・スティグリッツ著、東洋経済新報社、2020年1月2日発行)

アメリカの資本主義はあまりにも一部の人に富が集中する結果に終わっている。アメリカは、全体として以前より遥かに豊かになっているにも関わらず、富が一部の人に集中してしまった。所得階層の上位1%と残りの99%の間に「大分裂」がある。19世紀末の「きんぴか時代」以来の格差の拡大となった。貧困にあえぐ人が増えたため、全体としてみれ生産性が伸びなくなっている。アメリカの多くの人が希望とした中流階級の生活は遠ざかっている状態である。

その原因の一旦は経済の失敗にある。製造業中心からサービス業中心の経済の変化にうまく対応できず、金融産業への規制の失敗、グローバル化の影響を管理できなかった、企業の市場支配や超過利潤を防げなかったことにある。グローバル化で置き去りにされた人たちは教育を受けていない男性だ。2008年金融危機では多くの人が住宅を失ったが、金融企業の幹部は責任を問われず、多額のボーナスを受け取った。

40年前レーガンサッチャーなどが唱えたサプライサイド経済学は失敗だった。レーガンの1981年の減税により、莫大な財政赤字、成長鈍化、格差の拡大が始まった。トランプも同じことをしている。レーガンは口では自由主義を唱えたが、保護主義政策をとり日本には輸出規制をさせた。

本書では第1部でアメリカの問題を整理し、第2部で政治と経済の再建について述べる。前提としている考え方は次の9項目である。

1.市場は不完全であり、市場の力に頼るだけでは経済は適切に機能するとは限らない。

2.国富は知識の増加と優れた社会組織によって増える。

3.国の富と個人の富を混同してはいけない。市場支配力を使って個人が富を得る、不労所得(レント)の追及は再分配であり、国の富の増加にならない。

4.分断の少ない、格差の少ない経済の方がうまくいく。経済が成長すればだれでもその利益にあずかれる、トリクルダウンの理論は間違っている。

5.豊かさの共有には、分配と再分配の両方に目を配る必要がある。経済的優位、格差は世代を超えて引き継がれる。

6.政府は競争のルールを決めるという点で重要な存在である。

7.アメリカ流の資本主義がアメリカ人のアイデンティティになったが、より高い価値観との衝突を起こしている。

8.移民排斥、保護主義者は現在の苦境を他人のせいにしようとするが、問題は自分たち自身にある。

9.包括的な経済政策、格差の縮小の除去、バランス回復が必要である。

フランシス・フクヤマは、ベルリンの壁崩壊後に「歴史の終わり」を宣言したが、その後の進展は、そこで予想したこととは正反対の方向にいっているようだ。

本書のみではなく、最近、読んだアメリカの経済・政治・社会に関わる本を読むと、既にアメリカは我々日本人にとっては、理想とするモデルからかけ離れてしまったと強く感じる。