『現代語版 信長公記』(太田牛一著・中川太古訳、KADOKAWA、2019年9月)

かの有名な信長公記の現代語訳である。大半はすでにいろいろな本で読んで知っていたことだが、いろいろな本に書かれていることがほとんどこの本が原典なのだろうと思う。つまり、本書に書かれていることでいままで知っていたことと違うことがほとんどない。それほどに重要な信長の活動記録である。

500年近く前にの信長の活動が生き生きと想像できるように描かれているのは素晴らしい。

それにしても、信長という人物の行動のスピード、活発さはすごい。ほぼ一生を戦いに明け暮れたといえるのだが、全体的に非常に考え方が合理的であり、関所を廃止したり、農民から無理な税金を取らないように布告したり、庶民にも目配りしていたようだ。

佐久間盛信・盛栄への懲戒文書をみても非常に合理的な管理者でもある。また、朝廷や寺社への寄進も多く、部下にお金を配ったりお金の使い方が上手である。貢物をもらったら、それ以上を返しているようだし、下の者への褒美なども多い。自ら独り占めするということは少なかったようだ。

戦国の時代に武士が自分の命を投げ出して主君に使える動機が理解できないが、本書を読むと信長という人物の魅力が見える。

大石に飾りをつけて引っ張るとか、御所の土塀の修復をお祭りのようにするとか、馬ぞろえに自分でも化粧して参加したりなどの興趣などをみると、お祭りが好きだったようだ。お祭りを自分が周りの者と一緒に楽むことが多かったのではないだろうか。そのあたりが信長の魅力かな。

やはり、一番面白いのは、桶狭間のこと:

信長は、今川が攻めてきて、織田の砦がすでにいくつか落ちた状態で桶狭間を急襲して今川の首を取った。前の晩、家老たちとは雑談に終始して、もう帰って寝て良いと指示した。家老たちは、くちぐちにもう信長も終わりかと言いながら家に帰ったとある。

そんで、朝方に起きて、側近だけを連れて、熱田まで走り、ついてきた兵や近くの砦の兵を集めて桶狭間を急襲している。

信長は翌日今川を急襲することをきめていたはずなのに、なぜ家老たちに話さなかったか? たぶん、家老たちからの情報漏洩を恐れたのだと思う。(家老の言動からも、そんなに忠誠心が高くないことが想像できる)。それに、今川が桶狭間にいることをなぜ知っていたのだろう? ピンポイントで場所を特定して首を取りに行っているのは情報をきちんとつかんでいないと無理だろう。

要は、もう500年前にも凄い情報戦があったとということなのだ。それは大将から兵卒まで全員が命がけの時代だから当たり前ともいえるが。

〇関連

『信長公記―戦国覇者の一級資料―』(和田 裕弘著、中公新書、2018年8月発行) - anone200909’s diary