『ベトナムの泥沼から』(デービッド・ハルバースタム著、みすず書房、1987年6月10日初版、2019年1月24日新装版発行)

デビッド・ハルバースタムが『ニューヨーク・タイムズ』のサイゴン特派員のときの活動記録である。滞在期間は、1962年9月頃から1963年12月までなので1年と3ヵ月。そう長い期間ではない。

ベトナムは、ゴ・ジン・ジェム大統領を筆頭とするゴ一族が強大な権力を握っており、特にニュー夫妻が力を持っていた。

ベトナム軍兵士、現地軍と一緒に戦う米軍事顧問、現地の農民などの現場における戦争の現実と、ベトナム政府や米国政府の現地機関、上級軍人、そして米国の国防省などの間の認識の相違が大きかったことがわかる。米国政府はジェム大統領を指示する方針であったため、その方針と食い違う報道には圧力がかけられる。また、軍などからの反論や批判にさらされる。

しかし、ベトナム軍と行動をともにしてデルタ地帯を歩けば、ベトナム軍はあまり真剣に戦おうとしていないこと、現地の農民などがベトコンに支配されていたり、ベトコンに同情していることがわかる。

ジェム大統領はベトナム軍の損害を小さくすることに拘ったため配下の指揮官はできるだけ戦闘を避けるようになってしまう。そして都合の良いことだけを報告する。こうして、公式の統計は現実を表さなくなる。米国の出先の役人は既定の目標を達成することを優先するため、現実がそれに即していなくても実態をねじ曲げてしまう。結局のところ、南ベトナムの関係者は誰も真実を観ようとしない。現場の情報が米本国の上層部、例えばケネディ大統領まで伝わっていなかった可能性も大きい。

ハルバースタムの滞在中、仏教寺院襲撃事件が起こる。仏教徒焼身自殺のくだりは見た者しかかけないだろう。日本でもニュースが流れて自分の記憶にもあるほどだからインパクトは大きかっただろう。

1963年11月1日政権はクーデターで倒される。翌日ゴ兄弟は殺された。

ベトナム政府の怠慢・欺瞞そしてや米国政府関係者の自己正当化、それに相対する見たままを書くという特派員記者達の本質が鋭く対立し、ハルバースタムらに対して若い記者が取材をしないで記事を書いているという批判があった。

その後の歴史を知っている立場から見れば、米国の政権は、ハルバースタムら記者が観察から得た中立的な情報をもっと謙虚に研究するべきだった、と断言できる。本書を読めばハルバースタムがなぜ『ベスト・アンド・ブライテスト』を書いたのかよく分かる。

ベトナム戦闘は1975年まで続いた。結果としてみれば、反共というイデオロギーと現実の相克の戦争であったが、事実を正しく認識するのは難しい、価値観が事実をゆがめてしまう、ということの典型といえる。

『専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義』(トム・二コルス著、みすず書房、2019年7月10日発行)

アメリカ人は、特に公共政策に関する無知を美徳と考えるところまで来てしまった。(p.2)それはなぜか、どこで起きているのか? を整理するのが本書のテーマである。

第3章アメリカの大学は商業主義によって学生をお客様にしている。その結果、学生が教授をしもべと考えるようになっている。1990年代から電子メールを使うようになったが、その結果はメールによる平等化である。教師へのメールはため口となり、教師への質問をカスタマーサービスへの質問のように考える学生が増えている。そして、批判的検証の訓練を受けていない、知識や専門性を重視しない人たちを社会に送り出すようになった。

第4章インターネットでどのような知識もすぐに検索できるようになった。しかもリアルタイムで話ができる。しかし、人間はたまに立ち止まって自分で考えてみる、情報を吸収して消化することが必要だ。

インターネット上のユーザーは「ネット上の文章を従来のような意味で読んではいない。手っ取り早い成功を求めてウェブサイトのタイトル、目次、要約を「大量に拾い読みする」という新しい形の「読み方」が現れつつある」。(pp.145-146)これは読むという行為の反対である。

バックファイア効果=人々は自分の間違いが明確に示されても、おのれの心の中のナラティブ(語り)を矛盾なく保とうとする努力を倍化する。(p.158)によってネット上の交流は頑固な無知という問題を悪化させる。フェイスブックツイッターはこうしたエコーチェンバー現象を強化する。(p.160)

民主主義は政治的平等の状態=一人一人が投票において同じ権利を保証されているということを意味しているに過ぎない。(p.276)

本書で書かれていることは「アメリカはそうなのか」と納得できる部分が多いが、専門家の立場からのやや傲慢な意見を感じる箇所もあった。

『独ソ戦 絶滅戦争の悲惨』(大木 毅著、岩波新書、2019年7月発行)

岩波新書の『独ソ戦』が人気らしいと聞いて買ってきて読んだ。ソ連の崩壊前後から公開され始めた資料の研究が進んで、独ソ戦に関するこれまでの通説がだいぶ変わってきつつあるということは、なんとなく分かった。

スターリン像はあまり変わり映えしないが、ソ連軍の作戦術が優れていたというのは初めて読んだ。戦略と戦術の間をつなぐ「作戦術」という考えは面白い。

ドイツの軍人は戦後ヒトラーに責任を全部押し付けて過去の歴史をかなり歪曲していた、しかし、実際のところは軍部もかなり積極的に無理な計画を作った、というような指摘もこれまで読んだ記憶がない。本で読んだのは初めてかもしれない。

しかし、本質的なところはこれまで読んだ東欧の歴史に関する本とあまり変わっていないという印象を受けた。つまりドイツ側にとって不都合な人種の絶滅戦争という位置づけと、国際的な約束や民主主義など屁とも思わないスターリンソ連軍の無慈悲さが際立つ、という第2次大戦の東部戦線に関する。この種の本は読んでいて辛くなるが本書も例外ではない。ありがたいことに新書のボリュームだとそれも短時間だが。

スターリンにしても、ヒトラーにしてもやっていることが今から見れば滅茶苦茶だ。といっても、現代でもシリアあたりでは同じようなことが起きているわけだ。

願わくば、将来、東アジアでこのようなことが起きないことだが、東アジアには中国と北朝鮮がいるから将来はかなり危ういところにある。

 

クアラルンプール小旅行記

昨年はバンコクだったが、今年はクアラルンプールに3泊4日の小旅行をした。たまにアジアで非日常を味わって、リチャージしてマンネリを打破するのだ。

初日

10月31日10時成田発。マレーシア航空のチェックインカウンターは長蛇の列でチェックインに40分ほどかかった。ここからもうマレーシアなんだからと諦めたけれど、やはりもっとチェックインは短くしてほしい。自動化なし、全部人手、でしかもスタッフの人数も少ないのでいけないんだろう。

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成田空港・マレーシア航空チェックインの列

さてなんとか搭乗し、出発したのは良いが飛行機が揺れること。いままで数えきれないほど飛行機に乗ったが、記憶にある限り揺れている時間も揺れる回数も一番多いフライトとなった。次回はできるだけ他の航空会社にしたい。

クアラルンプール空港はすんなり入国できた。「タビトモ」には顔認識で入国審査しているとあったが、そのような様子はなかった。もしかすると成田で撮影した顔写真が共有されている。まさかそんなことはないだろうと思うけれども。いづれにしても入国の書類は一切不要で完全にペーパーレスとなっていた。

空港で少し両替して、KLExpressにてクアラルンプール・セントラル駅まで。途中停車駅なしで快適だったが、電車はがらがらだった。

クアラルンプール・セントラル駅からはモノレールに乗る。毎回の切符を買うのはめんどうなので、最初からタッチアンドゴーというICカードを買おうとしたが、もう駅の窓口では切符のみの販売で、ICカードは締め切りで買えないそうだ(18時半頃)。窓口の人は、どうしても買いたいならタッチアンドゴーのオフィスが近くにあるからそこに行けという。駅自体は大きなショッピングモールになっていて、その中にオフィスがあるらしい。探すのにだいぶかかったが、モールの3階のオフィスになんとかたどり着いてICカードを買う、基本10RMに20RM分追加チャージして貰った。これはMTR、LTRという2種類の電車、モノレールが共通らしい。このクアラルンプール・セントラル駅のショッピングモールは東京のそれとそっくり。

モノレールの中からホテルIstana Kuala Lumpurが見えた。ホテルはセットになっていたので申し込んだが、ちょっと古く設備はあまり良くないようで残念。日本人向けの特別サービスがあって、日本食の朝食が用意されているが、わざわざクアラルンプールに来て日本食はないよ。

ホテルから中心街のブキッ・ビンタンまでは歩いて10分かからない。

10月31日の夕食は、ブキッ・ビンタンのパビリオン内のMadam Kwan'sという「タビトモ」お勧めの大衆レストランでAssam Prawnsというエビの料理を食べた。 美味しかったが辛い。ビールで中和し、ご飯に混ぜてようやく食べられた。支払いはクレジットカードで日本円とする。パビリオンの中で出口が分からなくて迷う。一番分かり難いのがレベル番号で地上が1ではないようだ。(旅行中2回行ったが地上が2なのかいまだに良く分かっていない。)

パビリオン内でたまたま両替所を見つけたので追加で両替した。これでクアラルンプールの3か所で両替したことになるが、比較すると次のようになる。

・空港の両替:28.5円/RM

・クレジットカード:27.2円/RM

・街中の両替店:26.0円/RM

このようにレートがかなり違う。バンコクもそうだが、空港の両替所はかなりボッテいる。東京の両替所で両替したことはないが、どうなんだろう。

2日目

11月1日は10時頃から14時ころまで、ホテルから西に歩いてレトロな地域を観に行った。朝雨が降ったようで、地面が濡れているところが残っている。目検討で1時間位歩き、なんとかマスジャット・ジャメ駅まで到着する。この間は暑くもなくさわやかで気持ちが良かった。かなり赤道に近いのに、午前中はさわやかなのは驚きだ。クアラルンプールは多民族が交じり合って道を歩いているので開放的な印象を受ける。比較しても仕方ないが、東京は街をあるいていても同じ顔の人たちばかりで息が詰まる。

ここは地図を見ると、クアラルンプールの名前のもととなった泥の川の交わるところのようだ、こんな感じである。マスジャット・ジャメ駅は川の上にできているので、駅を越えた時に知らないうちにひとつの川をわたったことになる。

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川の交わるところ

川の交わる頂点の場所にはスルタンの建物があるが金曜日はお休みで入れない。マスジャット・ジャメ駅の西側の辺りは昔の行政の中心だったようだ。古い建物が並んでいる。途中で織物の博物館(TEKSTIL NEGARA)があったので入ってみた。

そのあと、国立モスク、クアラルンプール駅と歩いて、バサール・セリまでたどり着く。かなり歩いて疲れたので一旦ホテルに帰って一休み。そのあと、また、バサール・セリまで行って、今度はセントラルマーケットに行く。

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セントラルマーケット

ここは衣料品、雑貨など面白い店が集まっている。「タビトモ」には値段が出ていると定価販売とあったが錫のグラスは結構値引きしているようだ。とりあえず、218RMのピューター(ワイングラス型)を100RMにするというので一つゲット。安いが売れ残りとのことで残念ながら一つしかない。よく見るとこれは少し傷がついているし縁も曲がっているところがある。ま、売れ残りだからね。

11月1日ブキッ・ビンタン駅近くの両替所は26.17円である。10月31日と11月1日ではレートが違うはずだが、26円は良いレートだと思う。ちなみにここはSellが1000円38.2RM、Buyが同38.8だった。手数料率1.6%か。ということでここで買い物予算分をまとめて両替した。

3日目

今日の夜11時の便で帰国する。朝から昨日のセントラルマーケットにお土産を買いに行く。今日は昨日と違って朝から蒸し暑い。昨日、さわやかだったのは早朝に雨が降ったためだろうか?

昨日の店に行ってまた売れ残りのピューターを物色する。いいお茶いれがあったのでちょっと予算オーバーだけどゲット!

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ピューター・お茶入れ

あと少し土産物を買ってホテルに戻る。

他に特に行きたいところもないけど、ICカードはだいぶ残っている。30RMをチャージしたのが多すぎたのかもしれないが、MTRの料金が東京の地下鉄と比べてかなり安いためもありそうだ。駅の機械でICカードの利用分析ができるが、プリントの方法はまだわかっていない。

今は雨期なのだそうだが「雨が降らないなぁ」と思っていたところ13時頃から雷を伴うスコールが来た。大よそ1時間半くらいでほぼやんだ。外出していなくてよかった。

雨が降ると外は少し涼しくなるようだ。1年中気温はあまり変わらないようなので、恐らく夏場は東京よりも相当過ごし易いに違いない。

『現代語版 信長公記』(太田牛一著・中川太古訳、KADOKAWA、2019年9月)

かの有名な信長公記の現代語訳である。大半はすでにいろいろな本で読んで知っていたことだが、いろいろな本に書かれていることがほとんどこの本が原典なのだろうと思う。つまり、本書に書かれていることでいままで知っていたことと違うことがほとんどない。それほどに重要な信長の活動記録である。

500年近く前にの信長の活動が生き生きと想像できるように描かれているのは素晴らしい。

それにしても、信長という人物の行動のスピード、活発さはすごい。ほぼ一生を戦いに明け暮れたといえるのだが、全体的に非常に考え方が合理的であり、関所を廃止したり、農民から無理な税金を取らないように布告したり、庶民にも目配りしていたようだ。

佐久間盛信・盛栄への懲戒文書をみても非常に合理的な管理者でもある。また、朝廷や寺社への寄進も多く、部下にお金を配ったりお金の使い方が上手である。貢物をもらったら、それ以上を返しているようだし、下の者への褒美なども多い。自ら独り占めするということは少なかったようだ。

戦国の時代に武士が自分の命を投げ出して主君に使える動機が理解できないが、本書を読むと信長という人物の魅力が見える。

大石に飾りをつけて引っ張るとか、御所の土塀の修復をお祭りのようにするとか、馬ぞろえに自分でも化粧して参加したりなどの興趣などをみると、お祭りが好きだったようだ。お祭りを自分が周りの者と一緒に楽むことが多かったのではないだろうか。そのあたりが信長の魅力かな。

やはり、一番面白いのは、桶狭間のこと:

信長は、今川が攻めてきて、織田の砦がすでにいくつか落ちた状態で桶狭間を急襲して今川の首を取った。前の晩、家老たちとは雑談に終始して、もう帰って寝て良いと指示した。家老たちは、くちぐちにもう信長も終わりかと言いながら家に帰ったとある。

そんで、朝方に起きて、側近だけを連れて、熱田まで走り、ついてきた兵や近くの砦の兵を集めて桶狭間を急襲している。

信長は翌日今川を急襲することをきめていたはずなのに、なぜ家老たちに話さなかったか? たぶん、家老たちからの情報漏洩を恐れたのだと思う。(家老の言動からも、そんなに忠誠心が高くないことが想像できる)。それに、今川が桶狭間にいることをなぜ知っていたのだろう? ピンポイントで場所を特定して首を取りに行っているのは情報をきちんとつかんでいないと無理だろう。

要は、もう500年前にも凄い情報戦があったとということなのだ。それは大将から兵卒まで全員が命がけの時代だから当たり前ともいえるが。

〇関連

『信長公記―戦国覇者の一級資料―』(和田 裕弘著、中公新書、2018年8月発行) - anone200909’s diary

『中国はなぜ軍拡を続けるのか』(阿南 友亮著、新潮選書、2017年8月25日発行)

中国がGNPで大国となり軍事費も米国に次いで多くなっている。空母まで備える中国海軍の軍拡は日本を含む周辺諸国への大きな圧力となっている。本書は中国がなぜ軍拡を続けるかを、中国の軍が国軍ではなく共産党の私的軍隊であるという観点から整理している。専門の研究者だけあってさすがに良く調べて書いてあり、目からうろこの落ちる箇所が多い。

1969年以降中ソ間の大規模国境紛争の多発化により、毛沢東は米国寄りに路線を変更する。1972年ニクソンの電撃中国訪問で米中接近。日本も国交を回復する。中国と西側の関係は、1970年代に一次修復された。1980年代に共産党幹部や軍の幹部は金もうけの味をしめた。これに対する不満と民主化要求が生まれ、胡耀邦趙紫陽らの改革派が努力するも、第二次天安門事件までに失脚する。

第二次天安門事件の後、上海閥江沢民の時代となる。江沢民は軍経験はなく軍の将軍を後見人とし解放軍と共生関係を作る。その結果国防費が増大した(p.208)。江沢民の時代に改革・開放の中で開放の部分をおざなりにして格差の拡大、腐敗の反乱、暴力依存症としての軍拡のルーティーン化となった。(p.329) 

1989年5月の第二次天安門事件で経済断交となるが、日本が1990年に他国に先駆けて円借款を再開、1992年以降は西欧が次々に経済関係を修復する。これにより、鄧小平の改革・開放の続行が可能になる。

西側諸国には中国の経済が豊かになれば民主化するという思惑があった(関与政策)。⇒しかし、中国では経済発展による中間層の増加に関わらず、民主化の動きは生まれていない。関与政策は概ね失敗だった(p.232)。

13億を上回る民衆の経済水準を改善するには毎年8%のGDP成長が必要(保八)(p.220)。

中国は西側の思惑を満たすための対策として、沿岸地区経済発展戦略と米国債の購入を用意した。(p.224)また米国への投資や米国からの輸入。米国との「共通利益」政策。

2010年尖閣沖漁船衝突事件で日中関係は足踏みとなる。(p.231)

EUとの関係構築AIIB。

89年以来の和平演変論=西側陣営は70年代以降、経済や文化という手段で中国社会の価値感を動揺させ中国における社会主義体制の瓦解を目指したという論。しかし、共産党対民間社会という国内対立は共産党自身が招いたものではないか。(p.225)

2002年から10年、次の胡錦涛は調和のとれた社会と調和のとれた世界を旗印にあげた。しかし、上海閥の返り討ちに合う。

2012年、次の習金平は中華民族の偉大な復興という中国の夢を語る。これは江沢民の編み出したサバイバル術の踏襲である。(p.330)

台湾の統合は中国共産党の悲願である。南シナ海スプラトリー諸島における拠点構築は、劉華清の戦略に基づいており最終目標は南シナ海制海権と制空権の掌握にある。台湾有事の際に米軍を近づけないようにするためのもの。(pp.275-280)

中国との付き合いは難しい。中国が豊かになれば、民主化し、グローバル社会への適応をすすめるという日本など西欧諸国の期待は外れた。経済が豊かになっても国民には分配されず国民の不満がたまり、国内の紛争が増える。共産党はこうした中国国内の問題を解決しないまま中華民族の復興という旗を掲げ、国内で西欧諸国、特に日本との対立をあおる教育を進める。このため米中・日中の対立がエスカレートする。対立がエスカレートしても、共産党は排日教育を進めてきた関係上、日本に妥協できないという自縄自縛となっている。

日本の対中政策はオーバーホールする必要がある。従来の西側と中国の関係は中国の民主化にはつながらず、独裁政権の体力を増殖させ、中国国内・国際社会における緊張関係を増大するという現実に向き合うべきだ。(p.338)

2019/11/10(私見追加)

先週は中国側が米中貿易交渉で、追加関税を徐々に減らすことで合意ができたと発表した。そのあと米国側(トランプ大統領他)が合意していないと反発している。米中貿易交渉の行方は世界の経済に大きな影響を与える。しかし、本書を読むと、必ずしも経済的な側面だけで物事は考えない方が良いと思う。中国が台湾を諦めるなら別だが、台湾を取ることを視野に入れているとすると中国が力をつければつけるほど戦争の危険が高まるだろう。

『ウーバーランド アルゴリズムはいかに働き方を変えているか』(アレックス・ローゼンブラッド著、青土社、2019年8月発行)

ライドヘイル:ドライバーを呼んだり、一時的に雇ったりして目的地まで連れて行ってもらうサービスのこと。ライドシェアリングではない。

Uberによれば、ドライバーは労働者ではない。乗客と同様のUberのテクノロジー・サービスの「消費者」である。Uberはドライバーを個人事業主として分類する。従って労働者問題をひとつも抱えていないことになる。(p.16)

Uberは輸送会社ではなくテクノロジー会社である。障害をもつアメリカ人法(ADA)の適用を受けない。(p.17)2017年12月欧州司法裁判所はUberはテクノロジー会社ではなくてタクシー会社であるという裁定をくだした。米国では根本的な裁定はない。(p.269)

Uberはドライバーの収入のレートをかなり頻繁に一方的に変えている。(p.137)

ドライバーの自律性という幻想。会社が車種を決定し、変更する。賃金レートを変更し、配車をコントロールする。(p.143)

 事前情報を与えられないまま配車を受け付けなければならない。断ったらペナルティが課せられる。これはドライバーが個人事業主であるという考えに反している。(p.149)

Uberは仲介者の立場を使って、消費者とドライバーの両方をだましている可能性がある。(p.164)キャンセル料、チップ、運賃。

アルゴリズムは中立ではない。Goolge、facebookAmazonアルゴリズムで消費者を操作している。パーソナライズされたレコメンデーションは、ユーザーデータを利用する。(pp.162-206)

UberCSRサポートはほとんどロボット(自動)による。あるいは、アウトソースで、機械的。危機には役に立たない。(p.212)

乗客によるドライバーの評価は、乗客が中間管理職に当たることを示す。(p.218

Uberのドライバーの雇用分類については世界中で解釈がさまざま。(p.227)

Uberは違法=イノベーションであるかのような主張を掲げることがある。アントレプレナー的に見えるかもしれないが、一部の者のみに与えられた特権である。(p.252)

Uberのダブルスピークの例-Uberは、利害関係者に雇用創出を売り込みながら、自分自身はシェアリング・エコノミーの雇用者ではないという。

Uberの創造的破壊行為(p.281)

アルゴリズムの上司は、インセンティブとペナルティの操作で部下を管理する。(p.287)

Uberは街を移動する方法を変えた。(p.295)システムのルールを有効に使うことで、労働のルールを書き替えた。(p.298)

 LyftはUSのライドヘイル市場の23%、Uberは74%。(p.309)